ランニングは日常生活の一部!?という話

 あなたにとって「ランニング」は何?

実業団やスポンサー契約を受けているプロランナーは、「走ること」を仕事にされています。

その意味では、ランニングで結果を残すことを一番の目的と考えても良さそうです。

一方で、こみちのような市民ランナーは、ランニングは趣味あり、生活の一部に過ぎません。

なぜこのような話に触れたのかというと、「キロ4分ペース」というスピードにどこまで価値を見出せますかという話をしたかったからです。

ここで「キロ4分」にこだわっているのではなく、キロ3分でもキロ5分でもいいのですが、ある条件をクリアすることが、生活の潤いになるならおすすめですが、それができないということにどれだけ意味があるのかなぁと思ったのがキッカケです。

というのも、陸上競技として、5000mでも10000mでもフルマラソンでも、トップランナーたちが鎬を削っているのは、キロ4分や3分の世界ではありません。

練習をしてできるようになる領域ではなく、素質があって学生時代やもっとそれより前から厳しいトレーニングを重ねて今があるのでしょう。

というのも、一時期ゴルフにハマり、プロのようなキレのあるスイングに憧れて練習していた頃があって、結論として大人になって頑張っても関節の柔軟性を克服できませんでした。

ランニングで言えば、400mを60秒以内で走るような課題です。

選手なら普通に走れてしまう課題かも知れませんが、運動経験に乏しいこみちには、400mを60秒、つまり50m7.5秒でずっと走ることは当たり前ではありません。

そうなんです。

競技としてランニングを考えると、競い合うのは99%と100%の間みたいな部分で、その1%に多くの選手がひしめいているのです。

実際、今朝もランニングを5キロほどして来ましたが、キロ5分台のペースでした。

少しいつもよりゆっくりだったので、帰宅してアプリで運動内容を確認すると、「負荷」が少なかったことが分かります。

競技レベルを上げるのであれば、今朝のペースならもう少し長い距離を走るべきですし、同じ距離なら緩急をもう少ししっかりとつけて走るべきでしょう。

いずれにしても、練習がとても計画的で、淡々とした作業の繰り返しになるはずです。

なぜなら、目的がパフォーマンスの向上なので、その途中での満足感はあまり求められていません。

つまり、「プロ」という見方でランニングをしてしまうと、できて当たり前の感覚になり、できないことは選手生命の点で死活問題です。

ラストスパートで、他の選手よりもトップスピードが劣っていれば、やはり競技として勝利するには不利になるでしょう。

例えばラスト400mを50秒で走ってしまう走力があれば、それまでの順位など気にしないで、最後のポジション取りだけ意識してもいいでしょう。

でもこれって練習ではどうにもならない部分で、最大出力を向上させるのは成長期以外、リスクを伴うからです。

実際、キロ5分ペースで走っていた頃に、無理をしてキロ4分ペースに上げるとバランスも崩れて、フォームも不安定になります。

つまり、接地で膝関節に大きなダメージを受けるような走りになっていないとも限りません。

それがキロ3分になればもっとリスクを伴います。

モチベーションとして、目指したい課題(キロ4分ペースなど)があって、それを目指すのは悪いとは思いません。

でも、ランニングとは言え、やはり無理をするとケガにも繋がることを踏まえると、何を一番優先するべきかは取り組み方でも変わるはずです。

最近では、こみち自身、調子が良い時は、キロ3分20秒ペースで足を回していると爽快です。

「嗚呼、この感じいいよね」と思って走っていたりします。

でも、どんなにいい感じだとしても、翌日には疲労が残っています。

違和感を覚えるほどではなくても、足のまわりが少し鈍いと気づいた時に、前日のランニングを思い出すのです。

しかもキロ3分台で走っている時間は数分くらいのもので、距離にしても1キロや2キロ程度。

それでも体にはダメージが残ります。

つまり、走れるかどうか以前に、10キロも走ってしまうと翌日から数日は日常生活が変わってしまうでしょう。

今の自分にとって、ランニングってそこまで中心的なものなのか?と思うと、やはりNOなので、ほどほどに楽しくでいいと思っています。

プロになるのでも、実業団に入りたいのでもなく、普段の生活の30分や40分で5キロを楽しく走れたらいいからです。

その範囲で、より快適なランニングを目指したいというのがホンネでしょうか。


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