ランニングフォームにおける「正確性」の話

 「正確性」=「粘り強さ」という話

学生時代、「勉強をしなさい!」と親御さんに言われたことがないだろうか。

真面目な人なら、机に向かって勉強しただろう。

当時、中学生だったこみちは、もうタイトルは忘れてしまったけれど、書店で受験体験記のような本を見つけた。

つまり、学生時代の「勉強」する目的が「大学受験」であるなら、最初から中学生にも高校生、大学受験に求められる知識や技術まで一気に教えてしまうという塾の方針を解説していた。

「今はここまで」と妙に区切るのではなく、必要な知識や技術を一定水準まで一気に教えて、できないことを練習課題とするのだ。

そうすることで、弱点が見えてくるし、練習するべきポイントもはっきり分かる。

ランニングで、トップスピードというのは、ある意味で個人の素質が大きく影響する。

しかし、勝負での勝算は「正確性」が欠かせない。

つまり、一瞬の速さではなく、そこに至るまでの流れをどう作れるのかということ。

世界陸上の5000mや10000mを見ていて、多くのランナーがラスト一周までトップ集団に加わっている。

しかし、あと400mの段階で、競り勝つと優勝し、競り負けると結果を残せない。

ということは、万全な状態での「トップスピード」を訓練しても意味がなくて、ある程度負荷が掛かって苦しくなった時に、そこからどれだけトップスピードが出せるのかを練習しないと何度やっても本番で結果は残せないことになる。

よく勉強で基礎基本が大切だと言うけれど、試験というものを思い出しても、選抜を目的とした入試問題でもなければ、基礎基本である程度の得点が確保できる。

それはつまり、調子や運、不運で左右されない実力が出せるということ。

そして試験時間の残り何十分かで、実力が試される応用問題が待っている。

つまり、ただ難しい問題ばかりを解いていても、トップスピードは上がるけれど、レースで疲れた時に結果が不安定になる。

肝心な時に結果を残せない人は、「正確性」を見直した方がいい。

「正確性」がないと、そもそも肝心な場面になっても、そのチャンスを活かせる可能性も少ない。

練習というのは、それを補うことに価値がある。

ランニングフォームを作る意味

これまでの経験から、ランニングフォームには幾つかの種類があって、ランナーのスキルによって選択可能なフォームが決まってくる。

初心者がいきなり上級者のフォームを真似たとしても、関節の可動域が異なるし、筋力も違うから思うような結果にはならない。

かと言って、初心者は初心者向けのフォームでいいのかというと、上達したいなら中級者のフォームや上級者のフォームを知識として知っておくべきだ。

先日、いつものランニングコースで若いランナーがフォアフットで走っていた。

しかし、「フォアフット」で走ることが目的になっていて、フォームとしては意味がないと思ってしまった。

というのも、フォアフットを選ぶフォームの基本ができていないと思ったからだ。

できていたらあのようなフォームにはならないし、あのスピードにもならない。

個人的に、フォアフットで走るなら、ゆっくりのつもりでもキロ3分台になってしまうだろう。

なぜなら、速く走ることは力むことではなく、正確性が高いに過ぎない。

必要な知識と技術を再現することで、結果的にフォアフットになるし、スピードも速くなる。

上から目線に聞こえると申し訳ないが、こみち自身も思うところがあって、ランニングで何も課題を持たないことにつまらなさと無意味さを感じている。

例えば、キロ6分ペースで走るなら、フォームなんて何も考える必要はなくて、走っているだけで段々と到達できるはずだ。

運動が得意な人なら、キロ5分とか4分だってそうかもしれない。

でも、どこかで限界を迎えて、そこからさらに伸びるかどうかは、弱点を練習しているかに掛かってくる。

言い換えると、「正確性」が問われるのは、伸び悩む段階からで、ランニングフォームの細かな無駄をどこまで分析して修正できるのかが課題になる。

というのも、上級者のフォームと中級者のフォーム、さらに初心者のフォームには明確な違いがあって、それは同じ人であってもレベルが上がるとそれは改善されていく。

つまり、「正確性」の高いフォームが身につけば、それを実践するだけで速く走れてしまう。

パッと見でカッコいいフォームを作っても速くないのは、「正確性」が担保されていないからだ。

最近、キロ6分ペースでも7分ペースでもいいんじゃないかと思い始めていた。

なぜなら、趣味で走っているだけだから。

その結果、ランニングフォームに必要なポイントをどんどん無視して走っていることにも気づいていた。

発達して来たお尻の大臀筋が、最近になって後退している。

なぜならお尻の筋肉を活かして走っていないから。

それはつまり、キロ4分ペースで走るという練習をしなくなって、足だけでも走れるランニングばかりして来たからだ。

それでもいいじゃないかという答えもあるし、折角ならしっかりとしたフォームを身につけるという選択もあるだろう。

まだ故障したふくらはぎを庇って走っているので、どうにか走れてもそれは求めているフォームとは違う。

求めているフォームに切り換えようとすると、まだふくらはぎが「待って」と違和感を伝えて来る。

我慢の時だと分かっているけれど、正確性を失ってしまうとランニングしても面白さが半減してしまう。

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