チャットGPTとはなにか?
チャットGPTは、Microsoftが手掛けるAI事業で生み出されたオープンAIと呼ばれる自動的に文章を作り出せる新時代の人工知能です。
詳しくは検索して欲しいのですが、「明日の天気は?」というようなどこかに答えがある問い掛けに答える従来型の検索とは異なり、「〇〇なイメージの歌詞を作って」とか、「〇〇な時にどうしたらいいだろう?」という類いの画一的な答えが無い問い掛けにも対応しします。
さらに、「〇〇について500文字で文章を作って」というような、ライターの仕事にも迫ることまで圧倒的なスピードでできてしまうから驚きです。
AIアバターの流行っている
本人を撮影した画像を何枚か事前に提供すると、それらから学習し、新たにイラストをAIが描き出します。
その制作スピードは、プロのイラストレーターではもう追いつくことができないほどで、しかも写真のような品質からもっと砕けた感じまで、お手の物です。
我々の人生観が解析されている?
例えば、昭和時代の仕事ではものさしを使って、線を引き、表を作っていたでしょう。
それがExcelの登場で、画面に向かって作業することになりました。
「均一である」ことに慣れ、できないことには別の方法で「対処する」ことを強いられることで、我々はこれまでの経験さえも新しく誕生したパソコンに委ねるました。
なぜなら、生産性が飛躍的に向上し、こだわってものさしを使い続けても、追いつけないからです。
同様に、我々の人生観も一見すると多様化されたようで、実は根底では集約化されたのかもしれません。
つまり、自ら作り出すものではなく、選択することで成り立つものへとなったのです。
もしもそうだとするなら、できる限りAIにお任せし、我々はのんびりと待っているという生き方になるでしょう。
先に紹介したように、もう一から文章を書く必要はなく、AIの書いた文章でいいのか決めることが唯一の選択肢です。
デッサンを重ねて、どんなにリアルな絵を描いたとしても、写真を読み込み、それをベースに描くAIは簡単にどんな種類の絵も描くでしょう。
少なからず、絵を描く時には、基点を定めて描きます。
ポリゴンメッシュと呼ばれる図形を無意識に脳内で構築しているでしょう。
複数枚の画像から、AIも同じことをして、リアルからコミカルまで、そのポリゴンメッシュを学習によって変化させて、新たに描き出すのですが、その一連のスピードが人間の真似できないスピードと正確さなのです。
これまで人が大人になるという過程で、例えば手に職をつけるという時に、その技の習得をして来ました。
絵描きがデッサンをして形を学ぶように。
ところが、AIの進化によって、下積みと呼べる期間が失われて、いわば人間が学習することの意義を奪われてしまいます。
絵を描くことで言えば、フリーハンドで描くのと、トレースと呼ばれるなぞり書きでは、その品質に到達できる下積み期間がまるで違います。
しかし、AIが行うのは、写真のようなデジタルデータを組み合わせているので、もうトレースのようななぞり書きを超えて、組み合わせをしているに過ぎません。
つまり、フリーハンドで描けるまでの練習など、AIの進化に比べたら、勝ち目など無いのです。
例えば「人間が描いた絵」という括りでも付けないと、精度もスピードも格段に向上したAIにもう人間が勝つことはできません。
なぜなら、AIにできる範囲で我々が生きているからです。
ドラマ性とは何か?
例えばある絵を見た時に、上手いとか下手という感想を持つことがあるでしょう。
しかし、本当に大切なことは、「でき」ではなく、「ドラマ性」です。
つまり、誰がどんな想いでそれを描くに至ったのかということ。
一見下手でも、子どもが母親のために描いたなら、その絵はどんなに下手だとしても、価値あるものになるでしょう。
つまり、時間や労力を費やすことがドラマ性になるのですが、人間が生きることで最も重要なことがそのドラマ性だと思うのです。
しかし、AIによってドラマ性も変化し、いわば時間も労力も割くことなく選択しただけのドラマ性が当たり前になるかもしれません。
当然ですが、感動や感情の変化も減るでしょうし、人間として生きる喜びを感じ難くなるかもしれません。
いわば、人間の生命活動が終焉を迎えるとも言えます。
AIによって生み出された世界の中で、生きるような立場になれば、特に何か練習することも強いられず、その場その場で生きて行くことになるのかもしれません。