YouTuber を取り巻く現実
まず大前提として「YouTube 」は無くならないと思います。
その理由ですが、「シンギュラリティ」という概念を昨日知りました。
シンギュラリティとは、人工知能が人間の能力を超えて、人間では解決できない問題を委ねる時だと思うのですが、例えば平和や自然保護というこれまでにもどこかで耳にした願いが叶わないのは、人間が考えているからではないかという意見もあるでしょう。
1、2、3、と物事が進み、さらにその先も続けていれば叶う時でさえ、どこかで誰かが一つ飛ばしたり、数え間違えたりして、計画が中断されしまいます。
100兆円という膨大な金額の予算があった時に、100万円くらいは別用途で使っても大丈夫だろうと思ってしまうのも人間で、どこかでどうにかなると考えがちです。
そもそも、一流大学の試験でも、全教科満点で合格する人が何人いるでしょうか。
つまり、残念ながら不合格になった人が正解し、合格した人が間違えている問題だってあるはずです。
つまり、ミスしない理由などなくて、エリートでさえ完璧ではありません。
それは淡々と継続することでしか解決しない問題に、人間がどれだけ結果を残せないかということでもあるでしょう。
経済的観点から、意味あることとして取り組んでいることも、もっと広い観点からは無意味だったり、急ぐべきことではなかったということもあるはずです。
例えば「流行」がなぜ起こるのかを思考として考えると、どこに人が興味を持つのか上手く説明することは難しいでしょう。
「今年の冬は〇〇が流行っている」
例えばファッション誌を眺めれば、なぜという理由ではなく事実として流行しているアイテムの紹介があります。
読者もなぜではなく、〇〇が流行っているのかと理解し、実際に店舗でその流行を感じることでしょう。
ポイントは、「なぜ」を人間が理解しているのではなく、多くの場合は情報や流れから始まっています。
つまりは、そこに間違えた情報が含まれていても、それまでを含めて認識してしまうのが人間の性質です。
言い換えると、人間では解決できないことを人工知能が担うようになると、些細なミスさえも指摘されてしまい、それまでなら要領がよくて「仕事ができる」と評価されていた人が低評価になってしまうかもしれません。
「なぜそこで中断してしまうのか?」と。
YouTuberが今後も残ると考える理由
こみちは割と格闘技が好きです。
最近では総合格闘技の試合で、RIZINとベラトールのトップ選手が試合をしました。
一方で、YouTube で総合格闘技を検索すると、彼らの試合に混じって別の団体のコンテンツも検索結果に入って来ます。
「本物の格闘技が見たいんだ!」と思う人もいるでしょう。
しかしYouTube では「格闘技」から連想される人気あるコンテンツをピックアップしてくれます。
つまり、そこには少し異なる結果が含まれていて、でも異なるコンテンツも実際に見てみると面白いことに変わりありません。
言うなれば、自身で思っているコンテンツ以上に、好ましいコンテンツが結果になって示されるからです。
ここで、「自身の思い込み」を人類の英知に置き換え、出された検索結果を「人工知能」だとすると、今人間が直面している問題に似た現象だと分かるでしょう。
「求めているものとは違う」と排除することで、さらに明確にその人の要求に則した結果が反映され、人類では見つけることができない課題を「これは重要ではありませんか?」と人工知能から提案されるようになります。
必要不可欠なものであれば、今後もずっと必要として検索され続けるでしょうし、YouTuber も適応した人は生き残れるし、別の世界へと進むこと選択肢を選ぶ人も現れるでしょう。
しかし、別の業界でも似たような環境が起こっていて、今後は人工知能による提案が重要視されるはずです。
中には「まだまだ我々の時代だ!」と譲らない人もいるはずですが、もしかすると今、この世界で起こっている問題も人間だからこそ起きたのかもしれません。
逆を言えば、そうすることで人として生きることになり、生きる目的や目標を掲げられたのかもしれません。
人工知能に委ねた時に、「もうあなたは何もしなくていいです」と言われる人もいるでしょう。
「俺を誰だと思っているんだ!」と怒り出すかもしれません。
しかしながら、正論という不正論を貫くことで、いつまでも到達できないことがあったとするなら、「ちょっとそこで座っていてください」と言える人が必要だったのかもしれません。
そう考えると、YouTube のコンテンツが必ずしも全人類に役立つものでなければいけないということではなく、「何々、何を始めるんだ?」と視聴者がニヤニヤして見始めるコンテンツがあっても、それは十分に役立つ動画なのです。
学校の授業を聴いているような「正解」ではなかったとしても、一概に排除されるべきではありません。
ただ世間で支持されない内容は淘汰されてしまうでしょうし、役割が薄いと判断された動画も検索結果に反映されなくなるでしょう。
つまり、YouTuber に求められることは、正論ではなく、何らの形で役立つことです。
それはつまり人工知能でも今は答えることができない内容で、そのやり取りが長い目で人間の癒しとしてロジカルに解析されて、いつか自動生成される「面白い動画」を観て、人間が退屈しなくなる時が来るのでしょう。
「こんなことをしたらどう反響が起こるだろう?」
多くのYouTuber は頭をフル回転させて動画のテーマを探しています。
さらに言えば、「どうだろう?」ではなく、その人の存在そのものが視聴者に癒しとなるケースもあります。
その能力は、数値化されるものではなく、似たような外見や話し方だったとしても同じような反応にはなりません。
人間が人間らしさ感覚で見せる貴重な反応です。
そんな風に考えると、今後もYouTuber は大切な役割を持った人々で、その活躍が大いに期待されていると思うのです。