「世界」をこんな風に理解したらどうなるのか?

 「未来に進む」人と「今を生きる」人の二極化

サービスが開始されて約10年、ピークは5年前だったとも言われるYouTube の動画配信。

多くの人気YouTuber が誕生し、その収益性の高さが話題にもなった。

一般人が年収数億円という世界観は、それこそ世界トップアスリートでも叶えられないかも知らない。

彼らに才能があるのは否定できないが、それだけではないとも言える。

思いつくのが「時代の変化」で、ポイントは二極化する「未来」と「今」の境目がより明確になったのではないかということ。

つまり段々と分断が進む二極化の境界線にいた彼らは、加速的に「未来」へと運ばれた。

その結果、知名度と富を手に入れることができたのではないだろうか。

一方で、その境界線線がさらに「未来」で起こり、数年前なら「未来」にいられた人が段々と「今」に取り込まれているのかもしれない。

具体的には、YouTube での重要課題「再生回数」で、昨年よりも落とす人と、今もなお変わらない人がいる。

世間的には「時代の移ろい」とか「飽きやすさ」が取り上げられることもある。

しかし、ポイントは二極化の本質で、いわゆる「セオリー」は今も存在していると思っている。

そしてその「セオリー」をより限られた人が握り、段々と振り落とされて「今を生きる人」へと変化する。

多くの人には「今」しか見えないから、変化を感じても具体的には何も気づかないだろう。

「ビックデータ」や「永遠」が生み出す世界

我々人間が現時点で永遠に生きることは不可能だ。

頭が良いという人も、大型コンピューターの情報量には敵わない。

つまり、我々人間は「今」を生き、必要に応じて「未来」から助けられていく。

では誰が「未来」で生き続けられるのか。

それは年々進化する技術を第一線で生み出す人だ。

そして、その一端「AI」が関わることも増えた。

思えば我々日常生活はYouTube などのサービスを通じて、大きく変化した。

それこそ、音楽を聴きたいと思えばレコード店やレンタルショップに行かなくても、YouTube を開けばとりあえず満足できる。

インターネットまで広げれば、Webクリエイターなど、ネットと密接に関係した仕事を生業にしている人や、在宅ワークで働く人もいる。

彼らは技術の進化を使って生きているともいえる。

そうやって、昔ではできなかったことを借りて、人生を歩むことが当たり前になっている。

例えば、資産運用だけで生活できるようになったら、人は働くという概念を忘れてしまうだろう。

「YouTuber」は仕事と言えるのか?

そんな風に思った人も以前なら多かったはずだ。

しかし、トップYouTuber たちが生涯年俸に迫る金額を一年で稼ぐと知れば、「仕事と言えるのか?」という質問が古くなってしまう。

ある意味、想像ではあるが、今の生き残るYouTuber は「未来」に気づき近づこうと生き残ろうとしている。

一方で、段々と振り落とされる人は、「今」を生きる人に合わせていた。

つまり「今」を生きる人は「未来」から助けられているので、それだけ時代に流されている。

もちろん、全体が動いているから実感はないだろう。

「広告収益が3分の1になります!」と言われて、「そんな…」と落ち込む人は今を生きている。

一方で、「未来」に気づいた人は新たな世界が模索する。

例えば従来のビジネスを始めるように…。

しかしYouTube だけが未来に進むのではなく、従来のビジネスもまたセオリーを見失い、模索して生き残ろうとしていた。

今からYouTube を始めるこみちのような人が、登録者数を簡単に増やせないのは、同じことを考える人が多く集まり、そう多くない空いた席を奪い合っているからだ。

つまり、それはビジネス界でも起こっている。

「もう何をやってもダメかもしれない…」と気づいた時、その人は「今」を生きることが決定される。

自動運転がさらに進化し、プロドライバーを超えたら、どんな世界になるだろうか。

自動運転が進み、販売される自動車のレビューをより客観的に判断できるようになったら、プロの自動車評論家は何を伝えるだろうか。

1万倍のパワーを持ちロボットが誕生し、格闘技選手に立ち向かったら…。

天才と評される学者や音楽家以上に成果を出すAIができたら…。

言語化という人間特有の技で進化した人類だが、もうビックデータによってそれ以上のスピードで進化している。

その意味では、そう遠くない時代に全ての人が「今を生きる」ことになるだろう。

資本主義という概念も意味を持たないだろうし、言葉は不適切だが人間はAIによってペット化するだろう。

そんな未来が予測される時代を生きている。

我々がこだわるべきことは一体何だろうか。

例えば「野生動物」の保護にもう一度目を向けてもいいだろう。

彼ららしい生き方を守るということがどういうことで、彼らは何を考えて生きるべきかを。


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