「タイムトラベラーは本当にいるのだろうか?」を勝手に掘り下げてみた!?

 なぜ急に「タイムトラベラー」の存在を確認したかったのか

そもそもの疑問点だが、いわゆる2023年から2100年へとか1900年に移動することがタイムトラベルなのだろうか。

物理的な話で、時間と速度には何か関係があって、ある人の100年をある人には99年で到達できるということではないのだろうか。

つまり、今日は1月5日だが、この瞬間に移動を始めて、1月10日になった時にその人にとって11日になっているということ。

もっと言えば、周囲の人たちがその人よりも早く老けたり、若いまま変わらなかったりするだけで、寿命を超えたタイムトラベルはできないと思っている。

具体的な例をあげると、ある日に失踪した人が5年に発見されたが、やけに老けている(又は若いまま)というようなケースだろう。

我々の感覚としては5年でも、その人には仮に30年だったから老けたのであり、それだけの時間に見合った人生経験を得てもいる。

つまり、世間での時間経過が想像よりも遅く、見方を変えると「未来」から戻ったように思える。

世間では起こっていないことを予言することもできるだろう。

でも、それって思うほど重要なことだろうか?

未来人は有能なのか?

そもそも、未来人は有能なのだろうか。

工具や技術が進歩し、有能な人がいなくても、使い方を学ぶことで誰でも能力以上の効率化が発揮できるようになった。

しかし、パソコンがあっても、インターネットに接続されていなかったら、どれだけの人が有効に活用できるだろうか。

車があっても、ガソリンを原油から精製する技術がなければ、結局はいつかガス欠になってしまう。

何が言いたいのかというと、未来に行けたとしても、その見たものを分析できなければ、何もできないのではないかと思う。

世間での1年で、50年分を生きたとして、その50年分の経歴が1年後の世間でどう活かせるのかということだ。

いや、過去から来ることもできる!

ここまで考えて、気づいたこと。

てっきり見掛けとして未来から来た人がいるだけで、過去から来ることはできないと思い込んでいた。

しかしそれは間違いで、過去から来ることもできる。

例えば、2000年を生きた人がタイムトラベラーで、世間的には2023年の世界に訪れた。

トラベラーは23年の移動に1年を費やしたとして、つまり2022年の時から2023年までの1年を過ごした人と合流したことになる。

タイムトラベラーは、2000年の生活を記憶しているだろうし、2022年から1年掛けて2023年を迎えた人には過去のことを知る人に見えるだろう。

つまり、未来からも過去からも移動できる。

未来を知る意味

誰かがタイムトラベラーで、100年の未来から来たとしよう。

未来から来た人が凡人なら、「日本という国はあるのか?」「こんな職業は残っているか?」など、事実確認こそできるが、いくつか分からない部分もあるだろう。

現代で言えば「インターネットという便利なものがある」と過去の人に言えても、その時代にインターネットを再現することは知識的に難しい。

100年前にスマホを持ち込んでも、電話は出来ないし、ネットも使えない。

充電もどうだろうか。

さらに言えば、AIによる代行が進むにつれて、我々が担う範囲は狭まるだろうから、もはや未来人が現代に現れても、彼から聞ける話は断片でしかないだろう。

そう考えると、人が未来や過去にタイムトラベルするメリットは好奇心を満たすためで、それほど価値は無いのかもしれない。

なぜなら、AIに言語を覚えさせ、やがて独自の言語へと発展させた時、人間には理解できない領域が来る。

理論的には理解出来ても、その理解に5年掛かるとしたら、もう実質的に理解できないのに等しい。

そこまで来たら、人間を基準にするよりも、AIに聞いた方がいいことも増える。

「〇〇の職種は100年後も残っているだろうか?」

その答えはきっと「さぁ、外で遊んで来たら?」と言われてしまう。

つまり、もう未来のことなど考える立場にいないのだ。

残念ながら、2023年を生きる人が、2000年に戻ることはできない。

ということは、2023年に生きていたら、今よりも昔の昭和に暮らしたりできない。

過去と言っても今よりも未来だから、インターネットが無かった時代に戻ることもできないし、AIの進化は今以上に進むから、やはり段々と時の流れで人間の役割は限定的になってしまうのだろう。


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