樹齢3000年の古木は何を見て来たのか?
東京から北海道まで、徒歩で行けば1ヶ月くらい掛かるだろうか。
一方で飛行機なら1時間。
この差は「時間」だけだろうか。
実は移動距離ではなく、寿命を費やした割合に応じて感じる体験があると思う。
つまり、飛行機での1時間は、搭乗して機内で離陸を迎えて、眼下に小さくなった家々を眺めたら、音楽でも聴いて軽くうたた寝でもすれば北の大地が迫っている。
一方で、徒歩で移動すると、目の前の景色はすれ違う人も行き交う車も、通りの店も見ることができる。
もちろん、飛行機では体験しない風に吹かれることも肌で日差しも感じられる。
もしかすると、生涯を変えるような出会いがあるかもしれない。
こんな体験を踏まえると、樹齢3000年の古木は何を見て来ただろうか。
圧倒的に人よりも長い時間を生きたとしても、もしかするとそこにはあるのは人よりも変化の薄い毎日かもしれない。
つまり永遠の時間を手に入れたら、それは限りなく薄い「毎日」を送ることになるだろう。
大金持ちになったら人生は変わるのか?
お金を持つことができても、寿命を変えることはできません。
医療の力によって助かることもあるでしょうが、「息をしている」ことと「生きている」ことは微妙に異なっていて、助かった後はきっと「後世に何か残す」ことはできても、自身の未来のためには終わりが近づいていることに変わりがありません。
1億円の車を買っても、行く場所がなければ、ずっとガレージで眠っているでしょう。
忙しい人は暇が無くて、そんな車に乗る時間が月に数回しかないでしょう。
いずれにしても、お金があると叶うことも増えますが、無限に便利にはなりません。
「生きている」ことと比較すると、お金のある無しなど、人生にそれほど影響力は無いように感じます。
なぜなら、そもそも「生きている」ことでしか関係性も無いからです。
もちろん、夢を叶えるためには行動が必要で、そのモチベーションには「資金力」も不可欠です。
無料であることを意識するあまり、チャンスを逃しているくらいなら、少し投資してでもチャンスを増やした方が成功は巡って来るでしょう。
その意味では、半年や一年の猶予期間が受けられるくらいのお金が無いと、実質的には日常生活を変えることもできませんし、そのチャンスも巡っては来ないのです。
もしも「人間が永遠の生命」を叶えたら
これまでも多くの人が「永遠の生命」や「死後の世界」に興味を持ち、解明したいと望んで来ました。
しかしながら、現実的なことを言えば、「想像すること」はできても、「本当の事実」を知ることはできません。
もしも私たちがいつか命を尽きた時に、「なるほど、こういうことか?」と思うかもしれないが、それはもう後の話です。
一方で、個々の生命ではなく、「人間」という種族を1つと考えるなら、言語化し記録された今はいない人物の遺産を辿ることはできます。
インターネットが日常生活に深く溶け込んだ今なら、ネットワーク上に人工知能で動く次世代の生物が紛れていても違和感はないでしょう。
画像は自動で生成され、モニター越しに見る相手はあたかも実在しているかのようです。
もしもすると、そんな相手に友情や愛情を抱くかもしれません。
さらに言えば、そこの実在の人間が存在しなくても、彼らだけで新しい文化を生み出し、時代を継承してくれるかもしれません。
そして、未来のずっと先に、彼らに仕えるために生まれた人間のような生物が、彼らに指示されて自然を管理したり、多種多様な生物の調査研究を行うこともあるでしょう。
一見すると地球は太古の時代に戻ったように、自然豊かな表情で、しかしよく目を凝らせば無数のネットワークが張り巡らされ、人工知能によって可能となった「次世代の人間」が永遠に生き続けるという未来になったら、ちょっと興味深いかもしれません。