「幸せそうに暮らす人」の特徴を掘り下げる

 全てにおいて「幸せ」である必要はない!?

大人になると、子どもの頃のように毎日遊ぶことはできません。

最近では、公園などで走り回る子どもたちを見る機会も減りました。

それだけ年齢を問わず、毎日遊ぶことはできなくなったのかもしれません。

大人のなって、「子ども頃に何か習い事していた?」と質問したりされたりすることってありませんか。

中には「甲子園に出場した」とか、「インターハイに出たことがある」なんて人もいますが、普通は「ピアノの習っていた」とか「野球をしていた」というような答えが返って来ます。

習い事の範疇であれば、毎日何時間も特訓されたという話よりも、「今もできる?」というような話題になっていくでしょう。

大きな大会で優勝や金賞をもらえなくても、子どもの頃のエピソードとしては「習っていた」で十分に役立ちます。

こみちの場合、いくつかの習い事をしましたが、正直ここで話せるほど続かなくて、「何もしていなかった」と答えることも多く、軽い話題探しの振りも「ああ、そう」で終わってしまいます。

人生を豊かに見せるポイントはココ!?

子ども時代の習い事に似た出来事は、地元のお祭りや学生時代の部活、修学旅行の行き先なども話題になるでしょうか。

この手の話題も、明確な話を求めて聞かれることよりも、軽い時間潰しで登る話です。

「何もしていなかった」

と答えてしまうと、やはり「ああそう」で終わるでしょう。

過去は変えられないとしても、今の生活を変えることはできるので、日常生活の中に「こんなことを始めた」と言える話題が多い人は相手も「ヘェ、面白そうなね!」と乗ってくれるはずです。

些細なことに感じかもしれませんが、でもこんなことが違うだけでも人生は変わって見えますし、他人から見える自分の幸福感は決まるのです。

中には「他人の評価ではなく、自分の気持ちなのでは?」と思う方もいるでしょう。

もちろん、究極的にはそれも間違いではないと思います。

しかし、それを貫けるのは精神力も伴うでしょう。

人は意外と誰かに認められることで幸福感を得ているので、「自分だけで満足」とはならないからです。

誰か一人でも十分という人や、一人でも多くの人から認められたいと感じるかは人それぞれですが、誰か一人にでも知ってもらうためにはどこかで「キッカケ」を作らなければいけません。

そして、そのキッカケこそが、子ども頃の習い事だったり、今している趣味や生活習慣のような些細でもちょっとしたエピソードだったりします。

人生の節目が誰にでもあって、その期間は一年とか数年空いていることが一般的です。

その間の期間をどう過ごし、そしてどんなキッカケを集めて来たのかで、人生の豊かさに影響を与えるように思うのです。

過去ではなく、未来を大切にして、夢を追うことも悪いことではありませんが、ふと立ち止まった時に「子ども頃、何かしていた?」という問い掛けに出会います。

社会人になった頃の失敗談もまんざら悪い話ではありません。

「そんなことがあったの?」

と興味を持ってくれて、その場の数分が笑いになったらそれはそれで人生を楽しくしてくれるからです。

今、「苦しいなぁ」と思っても、それが永遠に続くとは限りません。

もっと言えば、今が一番幸せってことだってあるでしょう。

だからこそ、今を笑って過ごせるか否かは重要で、そのためには節目となる部分をしっかりと乗り越えることです。

曖昧にしてしまうと、それは後々にエピソードにはなりません。

振り返った時に、「何も無い人生」で終わってしまうでしょう。

中間部分はそれほど重要ではなく、スタートとゴールを明確にできれば、それは人生を豊かにしてくれるエピソードになります。

折角の新年ですから、何か始めるには最適です。

そんな気持ちで辺りを見渡せば、新たな気づきがあるかもしれません。

どうかみなさんにとって、いい一年となりますように。

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