「真実」である必要はあるのか?
「エンターテイメント」というと、「娯楽性」とも言えます。
昨今、コンテンツも二分化されていて、「真実性」を求める内容がある一方で、「娯楽性」を求める内容もあります。
特にYouTube で視聴されるのは「娯楽性」に優れたコンテンツ。
その背景には視聴者層があると考えられます。
「車旅」をテーマにしたチャンネル運営でも、世界最高峰を目指す冒険家のような過酷さよりも、笑いのあるエンターテイメント性を盛り込んだコンテンツの方が反響もいいだろうということです。
ある意味、こみち自身も「車旅」を「大人旅」と考えて、そのためにはどんな内容であるべきかを目指していました。
しかし、30代や40代、それ以降の世代という狙いよりも、幅広く楽しめることと目指した内容の方が視聴されるのではないかと感じます。
その意味では、「ぼっち」路線と、「チーム」路線とがあって、シンプルで淡々とした「ぼっち」としての魅力を目指すのか、みんなでワイワイと楽し気な様子を披露することを目指すのかが問われます。
益々進化する「AI」技術
経済番組を観ていると、アメリカのAmazonでは倉庫管理作業の一端をAIが担い、空きスペースの有効活用を行っているそうです。
その映像を見ていると、もう自動車の自動運転が技術的にクリアされているのではないか、もう近い未来には人が運転しなくなるのではないかとさえ感じます。
つまり、我々が何かに対して主役である必要も、それだけ薄れて行くのではないかと思うのです。
言い換えると、ストイックに何かを追求することよりも、人として楽しむことを目指して行く時代がくるように感じます。
そこで再考されるのが「エンターテイメント」ということです。
事実として、真実として我々が理解する必要性が薄れる中で、「人はどう楽しむのか?」についてより考える時代です。
繰り返すという縛りがお笑いの「てんどん」ですが、楽しませるための要素を一般人も理解するべきなのかもしれません。
つまり、問われたことにより正確に答える時代ではなく、厳密には解決していなくても、そこから生きる糧を生み出せれば、そこには価値が生まれるという流れです。
以前、AIによって我々の仕事が奪われると考えられました。
しかし本当にAIが益々進化し、我々の生活を支えてくれるなら、むしろエンターテイメントのような思考に切り替えることができるのかもしれません。
過度な無理を強いて、膝や腰を痛めたり、精神的なストレスで苦しんだりしてしまうストイックな生き方よりも、発想力や着眼点を工夫し再現することで、従来にはなかった価値観を生み出せるとも思います。
「車旅」にエンターテイメント性を加えるためには、何も真実である必要はありません。
それこそ、リアル「桃鉄」のような企画で、エンターテイメント性を伝えるコンテンツの方であってもいいはずです。
考え方次第で、これからもっと楽しい時代になるのかもしれません。