人生を何年と想定するか?
例えば自分の人生を「100年」と仮定したら、100年を使って描いた「円」の大きさが人生の喜びの大きさです。
言うなれば、人生が50年だったとしても、懸命に生きれば100年同様とは言わないまでも、70年くらいと変わらない円になったかもしれません。
また、先人が歩いた道を辿ることで、距離稼ぎ、より遠くまで行くことを選ぶ人と、誰も歩いたことがない悪路に踏み入れ、なかなか前に進めないもどかしさも含めて人生の満足度にする人もいます。
つまり、円の大きさを誰かと比べて、その大小を比較しても、厳密にはそもそもにステージが異なるのです。
そんな風に考えると、不老不死を手に入れたら、それを見越して延々と遠くを目指すことができるでしょう。
先人の到達した場所などは遠にすぎて、本当に誰も踏み入れたことがないような場所に到達できるはずです。
一方で、人生に限りがあると言うことは、常に自分の人生を選択しながら進んでいると言うことでもあります。
結論を出せずに、1ヶ月、1年と悩むことも自分の人生にとって象徴的なことですが、有限という意味では、その期間さえも消費されたことになります。
「人生の目的」は何か?
凄く大胆なことを言えば、人生は30年くらいで一周します。
昔なら15年とか20年くらいだったのかもしれません。
でも、感覚的に現代社会では「30年」くらいではないかと思います。
つまり、生まれから30歳になるまでに到達した場所を限界とし、31歳からは「2周目」に突入するということです。
それはつまり、年上の人が落ち着いて見える理由とも重なりますが、50歳や60歳になった人は2周も3周も回っている経験者なのです。
勘の鋭い人は、先に紹介した「円」の話で、年齢によって描ける大きさが変わると話をしたこととの違いに気づくでしょう。
そうなんです。
結婚や子育ては、2周目、3周目のきっかけで、まぁ、形式的にそうしなくても、ある段階から2周目に入る人がほとんどです。
では、どんな人が2周目に入らないで、1周大きな円を目指すのでしょうか。
それは冒険家のように、未知なる世界を常に見据えて生きようとしている人です。
研究家の中にも、同じような人がいるかもしれません。
しかし、人口比率で言えば、多分1%もいないでしょう。
というのも、気力以外にも、体力や精神力が衰えて来ると、知らず知らずのうちに2周目に入ってしまうからです。
人生の目的とは何かと考えるなら、実は「目的などない」というのが多くの人にとって当てはまります。
つまり、30歳になって見えなかった世界観は、もうほとんどの人はその先も見ることができず、例えば子育てをして子どもの成長を通じて「親」になったり、さらに一周して「孫」ができれば、また人生の見え方が変わって来るという経験辿るのです。
では一生独身で過ごした場合、結婚や子育てのようなきっかけがないので、社会的な意味で人と交わりながら、共に成長できる環境を求めるのでしょう。
稀に、冒険家のようなタイプは、前に突き進んで行くのでしょうが、そんな人は「人生の目的とは?」など考えることもないでしょう。
なぜって、そんなことに時間を使うなら、自分が目指す未来に進むでしょうし、むしろ時間が足りないことに焦っているかもしれません。
キャンピングカーの旅に何を求めるのか?
例えば国内旅行という定義では、日本の国土は有限です。
つまり、人生の全てを使ってもめぐることができないほど広くはありません。
だからこそ、飛行機では速すぎて、もっとゆっくりと回れる手段を探します。
車を使えば、日本一周も半年かかるでしょうか、
だとしたら、自転車にして、3年ということにすれば、もっとゆっくりと巡ることができます。
例えば旅をして、昨日までは知らなかった未知に遭遇したいなら、今の環境をシンプルにするほど新たな発見はあるでしょう。
その意味では、自分の生活環境を丸ごと移動させられるキャンピングカーを使って、新たな発見を目指すのは何か違和感があります。
それくらい環境が整ってしまうと、どこにいても変化が無いからです。
その意味では、飛行機とはまた異なりますが、旅をする目的を見つけ難いとも言えるでしょう。
よほどバックパッカーで、日本を巡った方が面白いでしょうし、旅の醍醐味を感じられます。
では、逆にキャンピングカーを選ぶ理由があるとしたら、旅をするのが自分ではなく、誰かのためということかもしれません。
例えば、ある旅人を撮影するためにキャンピングカーが撮影キャラバンになって、移動する様子を絶えず撮影するという目的に使うのです。
キャンピングカーを拠点に、自転車で散策し、それをコンテンツ化するというスタイルもあるでしょう。
本来ならすべて自転車でも旅気分に浸れますが、本人ではなく誰かの目線に応えるために、あえてそんな手法を取るのです。
そんな風に活用すれば、キャンピングカーを使っても、旅気分になれるでしょう。
「誰かのために生きる」という方法で、自分の生きる理由や目的を見出すのは、今に始まったことではありません。
ストイックに旅をするなら、「歩き」がベスト。
でも、目的や理由によって、自転車やバイクなどと変化します。
何より、今は旅ができない人に代わって、旅を代行するというなら、キャンピングカーを選ぶ利点は格段に多いはずです。
言い換えれば、キャンピングカーは快適過ぎても問題はありません。
なぜなら、そこに旅の醍醐味を求めているのではなく、それを使って作り上げるからです。
そんな視点を見つけると、意外と軽キャンカーの手狭さも面白いかもしれません。