逆転の発想!? 1億2000万人と言われる日本の人口も

 「1円」の価値

外を歩いていて、目の前に「1円玉」が落ちていたらどうするだろうか。

法的な意味では、拾ってしまう(占有してしまう)と落とし主や警察に届ける義務を負います。

場合によっては、遺失物横領罪という罪名に抵触することもあるのだそう。

この遺失物横領罪の「横領」には占有したもの、つまりそもそもは自分のものではなかったのに、あるきっかけを経て「占有」している状況になったのに、いつからか自分のものとして扱ってしまう状態を罰している罪名です。

これが、業務に関連すれば「業務上横領」になるとか。

そんな法的な話ではなく、単純に「1円玉」を見てどう感じるかということ。

為替取引や輸出入を商売にされている人も、1円違うと話状況が全く違うので1円の価値を小さく見ないかもしれません。

とは言え、道端で見つけた「1円玉」を実際に拾って、警察に届けることをするか否かはタイミングもあると思います。

そもそも、「1円玉に似ているなぁ」という認識で通り過ぎることも少なくないからです。

子どもも頃、下を向いて歩いていて、「(お金なんて)落ちて無いから、胸を張って歩きなさい」と学校の先生に注意されたことを覚えています。

それはさておき、実際の所、なかなか拾って届けるということを財布ではなく、「1円玉」でした記憶がありません。

1億2千万人の人々から

日本には1億2000万人以上の人がいます。

計算上の話ですが、そんな皆さんから「1円玉」をもらうことができたら、それが「1億2000万円」の収益になります。

「当たり前でしょう!」という話ではなくて、「1円玉」というとそれほど大きな価値に感じないかもしれませんが、その「価値」も集めることで驚くほどの金額に膨らみます。

何が言いたいのかというと、時給1000円で5時間働いていた人が、もう少し収入を増やしたくて10時間にした時、プラス5000円になりました。

でも、「1円玉」を皆さんから受けることができたら、それは比較できないほどの金額で、でもそれぞれからすると「大きな負担」には思わないという現象が起こります。

つまり、ネットがこれだけ普及した現代社会で、「知名度」という価値はとても侮ることができません。

むしろ、その意識を抜きに何かをしても、時給計算同様に、頭打ちも早くなってしまいます。

なぜって、1日は24時間と決められて、その時間を消費して働くのですから、時間的な限界を迎えてしまうのも当然です。

そこで、以前なら「単価」に着目して働き方を考えていたのでしょうが、それすら過去になり、今はたとえ僅かな価値に過ぎなかったとしてもより多くの人に届けることができれば、それは以前には想像もできなかった価値を生み出します。

そして、多くの人が、この「シェア争い」を始めていて、さまざまな方法でアピールしている状況です。

YouTuberの方がテレビに出演されて、急に登録者数が増加し、その反響に驚いたというような話を耳にしますが、テレビに出ているタレントの影響力がどれだけ巨大なものなのかは想像できるでしょう。

企業にすれば、より高性能を目指すよりも、より面白がってもらえる商品開発に転じれば、場合によっては収益が倍増することもあるでしょう。

その意味でも、抜本的な発想力よりも、見せ方やタイミングに注意して、より多くの人から関心を持たれることが、今のトレンドになっているのかもしれません。

ここ数年、気になっているキャンピングカーも、コロナ禍でショーなどに行けないことで、ネットで検索することが増えました。

同様に、YouTube でもキャンピングカー関係の新しいチャンネルが増えたのも、これだけ需要が高まり多くの人から支持されている背景が後押ししているからでしょう。

「車中泊」ばかりがコンテンツ化されることに、キャンピングカーの魅力が失われてしまうと危惧していましたが、それをキッカケに見てもらえことができたのなら、発想を変えれば「今っぽい」という手法になるのでしょう。


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