「日本一周」と言う価値観

 誰のために「日本一周」があるのか?

こみちの「旅スタイル」は、キャンピングカーよりもバイクにあります。

もっと言えば、大型バイクよりも中型バイクで走っていた頃の方が「旅」を感じていたでしょう。

新潟県の日本海に面した古い駅舎。

そこは、旅をした時に立ち寄る思い出の場所でした。

何かがあると言うことではなく、その場所に腰掛け、小さなロータリーを眺めていると、そこで暮らした記憶などないのに、その駅を使い生活している気持ちに浸れるのです。

見晴らしのいい写真映えする景色ではなく、でもそこに人がいて、たたずむこみちの横をそそくさと通り過ぎて行く姿に、「時」や「風」、「懐かしさ」などを強く感じられ、旅っていいなぁと毎回思います。

そんな特別な場所を全国を旅しながら何ヵ所も見つけていて、まるでチェックポイントのような感覚で、繋ぎ合わせながら「旅のルート」を決めていた頃もありました。

下道ばかりでも、1か月あれば「日本一周」はできてしまいます。

でも、「一周」だけで、「制覇」と呼べるかは少し疑問に感じます。

というのも、日本全国を見て回ったと言う価値観は芽生えます。

でも何のために「日本一周」したのかは、その一歩先にあるからです。

当時のツーリングは、今みたいにYouTube に載せるためではありません。

視聴者のために旅するのではなく、単純に見たい景色を探していただけです。

例えばこれから「日本一周」するなら

キャンピングカーを使って日本一周を目指している旅人がYouTubeにもたくさん登場しています。

なぜ旅を始めたのか?

どんな生活をしながら旅を続けているのか?

旅先での感動やエピソードはあったのか?

旅好きなこみちだけに、そんな旅人たちの動画を見るのが楽しくて仕方ありません。

あの人の動画は?この人の動画は?

そんな感じで、チャンネル登録している方々の旅を見させてもらっています。

ではこれからこみちが「日本一周」を始めるとしたら、どんなことを目指すでしょうか。

1日の移動距離は、最長でも50キロまで。理想は30キロくらいに留めたいところです。

さらに、町の歴史や文化を調べ、特産品や観光地にも足を伸ばしたいと思います。

ただ、昔の時には、地方に行くと訛りのある言葉で話してくれた地元民との出会いが楽しみでした。

特に自然体で話してくれて、その言葉の意味が分からずに戸惑いながらもコミュニケーションを続けるのも醍醐味です。

しかし、今もそんな風に話してくれるのでしょうか。

多様化が進み、価値観が増えたようにも思える一方で、実は根底は画一化されていて、言うなればカテゴライズされているだけとも感じます。

だから、誰もが共通した領域に戻ることができて、それはもう都市部や地方都市と言う区別はなく、逆に東京都内にいる方が日本一周どころか世界一周までできてしまうと言うことになり兼ねません。

全国地図で居場所を確認して、目的地の方角だけを頼りに旅を続けることで、思わぬ出会いや発見もありました。

しかし、スマホを使えば精度の高い情報が得られ、ルートさえ外すこともなくなり、さらには行き先の写真までもが既に手に入るのですから、「旅の目的」は「検証」に過ぎません。

例えば、YouTubeでよく見かける「車中泊」ですが、車内での様子そのままを「コンテンツ」にはしたくありません。

なぜなら、評判の高いポータブルバッテリーを持ち込み、人気の炊飯器で米を炊くのは、家でもいいくらいで、でも「旅の一コマ」にしているに過ぎないからです。

こみちなら、GoPro で動画撮影しても、そのままコンテンツにするのではなく、イラスト化したり文章化するでしょう。

確かに映像は何でも見えて分かりやすいのが特徴ですが、逆に視覚的には差がなく、もう「車中泊」動画は要素として似てしまうからです。

つまり、日本一周をスタートしても、それはサブに過ぎず、メインはリモートでできる仕事を続けることでしょう。

その意味では、文章やイラストが主体であって、旅先での発見は直接的に公開することではありません。

言うなれば、旅ではなく移住感覚なのです。

まだまだ今の仕事を続けたい気持ちもありますし、キャンピングカーならではの旅スタイルも明確ではありません。

ストイックにはバイクの旅が理想的で、もう一度「日本一周」に意味を持たせるなら、急がない旅にして、一回の人生で何十回の生き方をいろいろな表現方法で描いてみたいと思います。


こんな記事はいかが?