「心地よい暮らし」を手に入れるために

 ミニマリストに憧れて!?

これまで、こみち自身は「ミニマリスト」という言葉を意識することはありませんでした。

ただ、必要な物は側に置きますし、必要でない物は自分から遠ざけていたように感じます。

今の暮らしで不可欠なものは、「楽しく生きたい」という気持ちでしょうか。

そのために欠かせないアイテムは、愛用するiPadと通信回線になります。

実際に生活を維持するためには、衣類や食事も必要ですし、それを維持するにはキッチンや冷蔵庫もあると便利でしょう。

もっとも、現代社会で暮らすなら、「収入源」も欠かせません。

こみち自身、元々はDTPのオペレーターをしていました。

イラストやデザインの仕事に憧れていましたし、カメラに関わる仕事からDTPへと移行することもできたからです。

もう20年以上も前の話ですから、誰もが動画を撮影するようなクリエーターではありません。

そんなことをしたい人は、美大や専門学校で学ぶのが一般的だった時代です。

パソコンもまだまだ広く普及していませんでしたし、そのノウハウもインターネットで見つけることもできませんでした。

当然のことですが、Photoshop などの有名なソフトも、分厚い解説本を購入して、学生時代さながら勉強しました。

それがしたかったので、どんなに続けていても苦ではありませんでした。

つまり、当時から好きなものは「好き」、嫌いなものはできるだけ関わりたくない性分なのです。

このブログを立ち上げた時に、「ミニマリスト」という言葉を意識し、「断捨離すること」がその一歩だとどこかの記事で読みました。

中高年にもなれば、これまで生きて来た時に集めたものがたくさんあるはずです。

今、必要なものだけを側に置いた暮らしを手に入れるには、思い切った決断をして「生活をシンプル」に戻すことが必要なのでしょう。

お金とモノと時間の関係

例えば、こみちのように文章を書き出せば1時間、イラストなら3時間くらい没頭してしまうタイプなら、ipadさえあれば1日を楽しく過ごせてしまうかも知れません。

でも気をつけたいのは、本当にそれだけで「幸福」なのかと言うこと。

興味や関心ごとを無理やり遮断して、コンパクトな暮らしを続けても、そこには挑戦さえしなかった可能性があったはずです。

20代なら、30代なら、そして中高年や高齢者になってから、人はその時々でできることも変わります。

その意味では、その時にしかできない(意味や価値を持たない)経験は、たとえミニマリストでも挑戦するべきでしょう。

最近になって、時間そのものは買えませんが、お金を使うと「時間を短縮できる」ことも感じます。

ベースとなる経験があれば、毎回同じことを繰り返さなくても、「美味しいところ」だけをピックアップして人生を謳歌することができるでしょう。

つまり、20代の前半から生活スタイルを無理やり制限してコンパクトにしてしまうと、時間を短縮する方法やモノとモノを組み合わせる面白さにも気づきにくいと感じます。

今、キャンピングカーについて記事を書くことが多くなったのも、居住地が異なるだけで、それまでの生活は想像以上に変わります。

でも車の免許が無ければ、キャンピングカーという選択肢は選べませんし、購入するお金や、それを使って遊べる時間まで確保しようと思ったら、「仕事」さえも見直すことになるでしょう。

つまりミニマリストって、感性や価値観を養うことがポイントなのかも知れません。

物に囲まれることで幸福を得るのではなく、「何がしたいから、コレが必要だ!」という積極性と前向きに生きる気持ちが見つかれば、実際のモノが多いか少ないかだけでは決められないでしょう。

部屋に全く何もない。そして、時間も楽しめていない。

それではミニマリストとは言えません。

マイペースで生活を楽しみながら、でも社会ともしっかりと距離を保てる自分でいられる。

そんなことを考えると、キャンピングカーの必要性や仕事に対する価値観も見直してみたくなります。

こんな記事はいかが?