なぜ「走る」のか?

 「達成感」

社会人になって、仕事にも慣れてしまうと、ふと思うことは「人生の折り返し」かもしれません。

20代、30代なら、定年後の暮らしは遠い物かもしれませんし、40代、50代になると退職後の人生について考えることもあるでしょう。

方法があって結果が分かることは、見方によれば「人生の縮図」を思わせます。

ランニングであれば、キロ3分ペースでトップ集団の中で競うランナーもいますし、キロ8分ペースでどうにか最後まで完走したいと奮闘しているかもしれません。

優劣というものは存在していなくて、あるのは「生き方」です。

だから、走るという行為が奥深く感じるのも、明確な正解などないのに、人は走ることで何かを見つけられるのです。

例えば、50キロの距離を歩いても走っても自力で完走したいと思って、多くの方はゴールまでの道のりを明確にイメージはできないはずです。

そもそも完走できるだろうかという不安も抱えて、1キロずつを完了し続けるはずです。

言ってしまえば、後先を考えなければ、多くの人が50キロを完走できるでしょう。

走り終えた翌日、筋肉痛で立ち上がることができなくなるかもしれませんが、無理と無謀の目標ではありません。

でも今から挑戦するとなれば、誰だってできるだろうかと思うでしょうし、実際に走り始めてからもゴールは遠く先に感じます。

でも、何だか人生の縮図で、景色のいい場所もあるし、心地よい風が吹き抜けて、走っていることに幸せを感じます。

長い上り坂に差し掛かれば、ペースも落ちますし、疲労感がぐんと増します。

やっぱり50キロ完走は難しいかもと挑戦したことを後悔する瞬間があるかもしれません。

でもまた心地よい風や景色に出会うことで、気持ちも変わり、やり遂げたいと思うでしょう。

実際、こみちも市街地を使って50キロ以上を走ったことがあります。

終わってしまうと、あれだけ長かった距離も一瞬の出来事に思えます。

人生を終える時も、ああこんな感じかということかもしれません。

だからこそ、走りたい時は走った方がいいと思います。

今すぐという意味ではなく、自分なりのペースで「走る」ことを一つの便利ツールとして活用して欲しいのです。

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