爽快感と絶望感の狭間で
こみちは、ランニングをするなら絶対に「フォーム」を作ることが大切だと思っている。
ランニングに必要な動きを理解し、それが満たせるために欠かせないポイントを現状と比較しながら練習するべきだと考えるからだ。
その結果、十数年以上、運動からとおざかっていた人でも、学生時代の50mのベストタイムにかなり近づくまで走力は向上するだろう。
こみちの場合、手動式ではあったが学生時代に50mが6.8秒だったと記憶している。
そして、現状は換算値にはなるけれどキロ2分30秒くらい、つまり50mを7.5秒で走れていることになるだろうか。
ランニングを始めた今年の2月頃、全速力で走った時にキロ4分台だったから、ランニングフォームを覚えたことで50mで4秒5秒縮まったことになる。
多分、今の知識が当時の学生時代にあったら、当時のタイムもわずかながら縮まっていたと思う。
何も考えず、ただ走っているのと、理想的なフォームで走るのではそれくらい違いがあると思うからだ。
特に、タイムではなく、体がベストのリズムとタイミングで動いた時、体は面白いように空中移動している感覚になる。
リズムに合わせて、足を地面に一瞬触れる以外、体は地面から10センチくらい浮いて移動し続ける。
しかも、自転車でしっかりと漕いだ時に感じる風や景色の流れがあって、それまでのランニングのイメージが一変するほどだ。
毎日、数キロから十数キロを走るようになると、100mや200mの距離は長いとは感じない。
いわゆる短距離走をしているのではないから、スタートから一気にフルスピードを出したりはしない。
ただ、フォームがある程度できて加速する技を覚えると、0加速する時でも数歩でかなり体が役割に従ってくれる。
どこまで引っ張るのかによっても違うが、キロ3分から2分後半くらいのスピードまでは自然に上がってしまう。
そのあと、上体を起こしてランニングのペースになっても、キロ3分前半が苦しくないし、キロ4分まで落とすとかなり遅いと感じる。
特に頑張って走っているという感覚は薄くて、こみちの場合は前に振り出す足をしっかりと意識しているくらいだ。
ハムストリングに違和感を抱えて、そんなフォームで走ろうと思っても、痛みが強くてできないと感じた時に、「走れないってつまらない」と本気で思ってしまう。
少し時間が空けば、30分くらい走ってみたいと思う。
今もそう思っているけれど、実際にランニングをしようと表に出ても、ウォーキングに近いキロ8分や9分のランニングならまだしも、リズミカルなランニングには到底なり得ない。
日常生活では足が痛いとは感じないけれど、ランニングに向けた確認動作をしてみると、「ん?」という違和感がある。
ふくらはぎの小さな筋肉とは違い、ハムストリングはランニングでも使う強くて大きな筋肉だから、それこそ日常生活では問題にならないと感じる。
でも、全回復するまでの期間は多分、ふくらはぎよりも長くなるだろう。
そして無理をすれば走れてしまうから、いつまでも治らない。
走りたいのに走れない。
体を動かして気分転換したいのに、それができないことにストレスが溜まる。
しかも、理想的なフォームで走るには、手足の適切な動きが欠かせないけれど、少し間隔を空けて走ると以前のような感覚では動けなくて、「こんな感じで走りたくないのになぁ」と思ってしまう。
ここ最近はハムストリングが痛くて走れないと思うまでの時間も距離も段々と早くなっているから、ここで少しくらいならと思っても実際には走れないのだろう。
このもどかしさは本当に大きくて、葛藤が続いている。