ある格闘家のニュースで
今朝、起きてYouTube を眺めていると、「タイホ」という言葉を見つけた。
「何かのネタかなぁ?」という認識で、どこのチャンネルかと確認していた。
それがテレビ局で、「???」「何?」ってなる。
その動画を視聴して、ある格闘家が捕まったことを知った。
昔から格闘技が儲からない仕事だと言われていた。
儲かるか否かは、提供したサービスに対する評価とも言える。
つまり、より良いサービスを提供することと共に、市場で適切な評価を得られる業界としての取り組みが求められる。
同じスポーツという範疇でも、格闘技と他の競技で選手のダメージは異なるだろう。
特に、競技の性質上、回復できる負傷ではなく、引退後も共にすることになるような負傷だって起こり得る。
言い換えると、格闘技団体はそんな選手の育成とサポートもになっている。
そうでなければ、競技として興味を持っていても、失うかも知れないリスクが想像を超えてしまうからだ。
こみちは専門家ではないから、詳しいことは何も分からない。
ただ、市場を活性化させるには、地道な努力や当たり前の基盤ができることでしか長続きしない。
それは格闘技だけではなくて、絵描きや演劇などの業界でも起こり得る話だ。
サラリーマンが毎月給料をもらって、その金額がフリーランスよりも少なかったとしても、定年後や将来の見通し、社会的信用など、様々な面で評価されるのは、そんな地道な方法を勤務している企業が続けているからだろう。
就業中の事故などでは労災保険があり、いわゆる「年金料」には障害者年金料も含まれていて、回復が難しい恒久的なダメージに対してサポートしている。
つまり、そのサポートは、国や自治体によるサポートで、納税者である我々が税金を支払い成り立っている。
もしも、サポート組織を考えないなら、現代社会では月額の年金料は不要だけど、日常生活で回復困難なダメージを負った後も自己責任になり、保険会社が欠かせないだろう。
「自分らしく」という部分を重視すれば、絶対に毎日を楽しく生きないとダメだ。
逆を言えば、定期的に安定した収入があるサラリーマンとして働くなら、会社に貢献し、自身が所属する組織をより強固なものにしたい。
どちらがいいかではなく、目指す目標も背負うリスクも違うから比べることができない。
格闘技でチャンピオンになれば、その組織が大きいものであるほど、評価も高まる。
だからこそ、選手は必死で自身を磨き続けてチャンピオンを目指すのだろう。
しかし、目標を達成しても、思うような評価が得られないことがある。
とは言え忘れていけないのは、フリーランスでしか目指せない夢もあるし、サラリーマンだからこそ得られる幸せもある。
今、確かにYouTube では再生回数次第で、サラリーマンでは到底得られない富を手にすることができてしまう。
月給30万円の人が、人気YouTuberとなって、報酬が300万円、3000万円と膨らんだ時に、サラリーマン時代なら躊躇っていた高額商品も、すぐに手に入るだろう。
何と引き換えに。
こみちは介護福祉士という高齢介護に携わる有資格者でもある。
高齢者が認知症などで生活を続けられなくて、介護施設で暮らし始めた時に、サポートする仕事をしていた。
どんなにお金を持っていても、それこそある段階を超えてしまうと、「人間性」しか残らない。
どんな仕事をしていたか、どんな偉い人かなどを問うこともない。
そんな場面を多く見ているから、「お金」がどれだけ有効なものかも分かってしまった。
それ以上に健康的で健全な暮らしが大切だと思う。
特に格闘技の世界は、多くの人の想いをリングで果たしてくれるから、個人的にはありがたい存在で、日頃のストレスを吹っ飛ばしてくれる。
話は戻るけれど、格闘技選手がどんな思いで、またどんなリスクを背負って試合に挑むのかも、段々と大人になるほどに理解できる。
危険性を認識すると、やはり恐怖心が出てしまうし、これ以上の負傷を負うと、引退後の生活にも影響すると感じるだろう。
楽しめたことができなくなるという実感を日々感じながら生きるのは大変だ。
でも、これがダメなら、コッチはどうか。
そうやってもがきながら、人は生きている。
「何でも買える」が成功者なのか?
単純で分かりやすい指標だけど、何もストレスが無いと人は劣化する。
ここが人間の興味深い部分で、何でも過度に手に入れてはいけないのだ。
もちろん大金を稼いで、それで所属する業界を盛り上げて、後に続く選手をサポートしたいなら、そんな夢は誰にでもできることではないし、何よりもその目的に一途でもいいだろう。
ただ、ある格闘家の事件を耳にして思ったのは、楽しくて格闘技を続けて来たけれど、今になっていろいろと続けるのも大変で、その結果として社会のルールに違反してしまったということになる。
ポイントは、そのルール違反に対するペナルティを負うことではなく、なぜ夢のある格闘技選手になったのかという部分だろう。
サラリーマンとして、平凡に見えるかも知れないけれど、実際にはそんなことはなくて、やっぱりサラリーマンとして勤めればそれはそれで大変だ。
「何でそんなに小さなことに?」と思うかもしれないが、やっぱりそこが大切で、その中で考えて解決することで得られる幸せもある。
「やってられない!」と思ってポンと飛び出しても、社会で生きているとどこかで我慢もあるし、不条理に感じる時もある。
ある意味、格闘技選手になっても、ある選手ばかり優遇されていると感じたり、報酬面でも不当な格差を感じてしまうこともあるだろう。
その部分ではサラリーマン的で、業界でどう評価される選手に成長できるかが問われている。
一見成功者に思えても、例えば大金を手に入れて、周囲から成功者としてもてはやされても、結果として本当に大切にしたかった人が離れてしまうことだってある。
気づいたら、富に集まった人ばかりで、昔のようにワイワイと騒げる仲間たちではなくなっていたということもなくはない。
じゃ、何を持って幸せだと思うか。
ある格闘技選手の報道からは、その人は「どんな幸せ」を求めていたのかと思ってしまった。
個人的には、虚勢を張る人よりも、有名人になっても「バイト」をしていて、「それが自分の生き方だ!」と言い放ってくれるような人がいい。
「オレ、バイトあるから!」と夢と仕事を両立させて行くのは大変だけど、だからこそフワフワした幻想の夢ではなくて、しっかりと地に足を付けた夢になると思いたい。