「キャンピングカー」から「ミニバン」へ乗り換える理由とは?

 あるベテランオーナーが「キャンピングカー」を手放した理由

YouTube で見つけたキャンピングカーオーナーのチャンネルで、10年以上も所有してきた車を手放したといいます。

理由はいくつかあったようで、5メートルオーバーの車体だったことで普段使い出来なかったり、旅先での駐車場探しに苦労したことなどを挙げていました。

「車中泊」を前提とするなら、全長5メートル以内であることが重要で、車高のあるキャブコンは居住性に優れる反面、高さ制限などでも駐車場探しに苦労するそうです。

サービスエリアや道の駅など、一般車に混じって車を停めるにしても、サイズが大きいと旅先では面倒に感じることも多いみたいです。

そんなベテランオーナーがミニバンに乗り換えた理由は、普段使いもできて、旅先での駐車場探しにも困らないからだそうです。

確かに、車内で立つことができるキャブコンなら、快適さには優れていますし、停車中もエアコンを使い続けられるなど、本格的なキャンピングカーには素晴らしい点もたくさんあることは否定できません。

「家」ではなく「車中生活」を選ぶ生き方って?

どんな形状の家だとしても、住処になった場所は落ち着ける空間です。

雨風をしのぎ、暑さや寒さから身を守り、さらには治安維持にも役立ちます。

一方で、車中生活では、ゴミ捨てや洗濯など、日常生活で起こり得ることが、当たり前にはできません。

それはつまり、生活を通して達成するべき「生きがい」の多くを「生きること」そのものに注いでしまうことにもあるでしょう。

よくするたとえとして、キャンプをすると「生きている」ことをより強く感じられます。

ぼんやりと焚き火を眺めていると、それだけで癒されるのも、炎の揺らぎが持つ特有の波長が心に届くからでしょう。

しかし、現代社会は割と感情とは別に行うことが多く、ある種「義務」の多い生活です。

時給自足でも農産物は作れますが、スーパーに行けば、もっとさまざまな種類の中から気分に合わせて自身のライフスタイルを選べます。

「これだけでいい」と他を羨ましく思わない覚悟ができるなら、大地に根を張って生きることも悪くはありません。

やっぱり「老い」を抜きにはできない!?

ただ現実的なことを示すと、こみちは介護の有資格者でもあるので、老いた人の生活を日常的に見て来ました。

どんな生き方を選ぼうとも、老いは誰にでも迫って来て、長生きするにもいろんな人から支えられないと生きられません。

「自分は長生きしないから大丈夫だ!」という人もいます。

しかし、認知症になればもうそれさえも考えられなくて、「昔、ああ言ったよね!?」という話を蒸し返すこともできません。

介護施設には、家族からの支援も受けられない利用者も一定数いて、中には入所後も家族が全く訪問しないということも珍しくないのです。

それでも介護士は仕事として、彼らの日常生活を支えています。

そこで、「自分らしさ」ってなんだろうと疑問を持つのです。

現場の介護士は、ある意味で入所者を「その人」として見ているので、過去や家族との関係を意識してはいないでしょう。

いい人として生きて来た人も、あまりいい人ではなかった人でも、分け隔てて介護することはありません。

とは言え、自分の人生のどこまでを自由に決められるのでしょうか。

老後の資金が一節では数千万円にもなるとも言われていて、その蓄えを満たしていない人もやはりいつかは老いてしまいます。

ある意味、動ける現役時代に、車中生活を選んだのなら絶対に思う存分楽しむべきでしょう。

そうで無いなら、現代社会が求める「義務」を果たすべきとも言えます。

個人的には、「義務を果たすこと」を見つけるのが、人生最大の目標だと思うのです。

全国各地には、美しい景色がたくさんあるでしょう。

その景色は、キャンプ場で見た焚き火の「炎」と同じで、心で感じるものです。

しかし、どこの場所だとしても、その地で生活している人は、家族のためや子どものために頑張っていたりして、必ずしも「自分のため」だけではありません。

誰かにはなんの変哲もないことが、感動や生きがいになることも多いのです。

意外と、「義務」というのは、人間同士の中にあると思います。

町を散策した時も、通りを歩いてみただけでは表面的なことしかわかりません。

しかし、そこを歩いている人を見て、そこに暮している人と会って、その街の姿がより伝わります。

言い換えると、1時間で散策した印象と30年暮らして感じる印象は全く異なるでしょう。

今にして思うと、全国各地を旅した思い出は部分的に想い出せますが、どれも断片的です。

しかし同じ場所で暮らしてもまた、いろんな発見や感動はあって、人生という意味ではどちらが優れているのかを決めることはできません。

キャンピングカーなのかミニバンなのか?

「旅」とは何か。

実はキャンピングカーかミニバンかが重要ではありません。

キャンピングカーのように居住性に優れているとそこでの暮らしはミニバンよりも快適です。

しかしミニバンだったからこその出来事はあるはずで、むしろそれを「生き甲斐」と感じられたら、何に乗っているのかはあまり重要ではないでしょう。

先日、道の駅を落れた時に、ここで車中泊できるかと考えました。

スペースとしてよりも、それを自分が望んでいるのかがポイントで、こみちとしては「車中泊」できないと思いました。

家での暮らしがそれ以上に有益に感じるからです。

つまり、人によってはどこで暮らしても変わらないとか、毎朝いろんな場所で迎える方がいいという人もいるでしょう。

その意味では、たまたまこみちはそう思わないというだけです。

最近、キャンピングカーでなければいけない理由が薄れてました。

例えばYouTube で動画制作するにしても、コロナ禍が薄れてみんなが旅行を楽しむようになったら、「車中泊」に対するニーズは減少するでしょう。

旅しているのだから、より現地を楽しみたいと思った時に、自分の車で移動し、そこで生活していることに疑問を感じるからです。

自分自身と向き合う旅ならありですが、その地でいろんな体験や出会いを求めるなら、より身軽で行動した方がチャンスも増えます。

車でのドライブより、バイクでツーリングした方が出会いも多いのは、身軽さが影響しているからでしょう。

どんな風に旅をしたいのか。

確かに、車内で食事するよりも、ふらっと立ち寄った店の方が面白いですし、温泉や銭湯に入ると、また地元民との語らいにも繋がって、旅気分は盛り上がります。

むしろ、キャンピングカーが快適過ぎるとそこで完結してしまい、それこそどこに居ても同じになって、旅をしている目的が失われるという変な結果になるから不思議です。


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