キャンプ場にもあった!? 自然豊かな場所で感じる現実

「 自由に生きる」という難しさ

「自由」と言っても、100%自由では人間も生きていけません。

完全な自給自足を100%の自由と考えるのかはここでは結論を出しませんが、「生物」である以上は何らかの意味で寄り添いながら生きることでしか生命活動を維持できないのは事実です。

一方で、例えば転職をした人なら分かってもらえると思いますが、勤務先が変わるだけでライフスタイルも一変します。

以前の会社で働いていた頃に口にして「名前」も、段々と耳にすることはなくなり、仕事で気をつけていていたことや出勤時間、他にもそれが「当たり前」と思っていたいろんなことが、いつの間にか「今の暮らし」には出てきません。

つまり、一人の人間が24時間という限られた時間で触れられることには限界があって、どんなに多くを望んでもできることはある程度決まっています。

なので、「自由」とは「free」というよりも「選択する」ということなのでしょう。

キャンプ場にもある人間社会の縮図

都内の通勤では、地下鉄から地上に出ると一気にオフィス街となります。

大企業に勤務していると、大きなオフィスビルに顔も知らないスーツ姿の方々と一緒に吸い込まれていきます。

エントランスからエレベーターホールへと進み、幾つものあるエレベーターを待って、それこそ自分と同じ会社なのかさえ分からない人が大半で、それが当たり前の日常でしょう。

オフィスがあるのは20階のフロア。

エレベーターを出て、始めて見慣れた顔ぶれがいます。

「おはよう」

家族とも違う、出勤中に見かけた人たちとも違う、同僚との関係はまた異なる人間関係です。

昼休憩、いつものようにオフィス内で済ませる人もいれば、こみちのようにオフィスを出て近くの店に向かう人もいます。

オフィス街には多くのスーツ姿の人が歩いていて、昨日も一昨日も同じ道を歩いたのに、同じ人だとは気付きません。

1時間の休憩を済ませてまたオフィスに戻れば、午前中の続きが始まります。

キーボードを叩くのにも疲れて、少し席を離れれば、オフィスを出た一角にある見晴らしのいい休憩所があって、そこに営業マンや内勤者がしばし歓談しています。

「あの件、ありがとう!」

「どうも、どうも」

顔見知りに気づいて声を掛け、そのままこみちはトイレに向かいます。

20代の頃、オフィスは別の場所にありました。

ショッピングモールやマンション、ホテルが同じ敷地内に建ち、休憩で外に出ると、公園のようなエリアがあって、そこで連れの若い夫婦が子どもも遊ばせていたりして、それこそ人生が人それぞれに異なっていると気付かされます。

そのマンションの販売価格が数千万円ということもあり、若い夫婦で入居されるとしても、それなりの稼ぎがなければ簡単には住めません。

もちろん、エリア街にも住宅地はあって、そこからこの一角に来ることもできるのですが。

ポイントは、同じ場所、時間であっても、そこを利用している人の目的は同じではありません。

この「同じではない」を共有化するのは意外と簡単なことではないのです。

大手企業と中小企業の違い

同じ「職場」であっても、そこにいる人の集団が異なると、雰囲気も気遣い方も違います。

1から10まで言わなくても通じる場合や、1から10まで説明しても伝わらないこともあるように、その場所場所で、使うべき言葉や伝え方は異なるはずです。

都内にある大手企業のように、オフィスビルの一角に職場があり、別のフロアには別の会社があって、もちろん顔も名前も知らない人が直ぐそばで働いています。

でも、人生として見た時に、そこに接点などありませんし、それぞれの人生に影響を及ぼすこともないでしょう。

仮にランチ時に表通りで見かけたとしても、まさか同じオフィスビルだとは思いません。

一方、中小企業の場合、職場も大手ほど大きくはないでしょう。

何よりも別の会社の名前も顔も知らない従業員が隣で働いていることも稀です。

それだけ個々の距離が違いことで、意思の疎通が容易になり、同じ歩幅で働けます。

それが会社としての団結力を生み、強い推進力となるのです。

その意味では「仕事さえできれば良い」というスタイルで働き始めると、中小企業では浮いた存在になります。

「おはよう」のひと言で済ませてしまうよりも、「昨日、〇〇があって」とたわいない話題が人間関係をスムーズにします。

どちらが良いのではなく、対人との関係性が異なるということです。

東京生まれで育った人が、田舎暮らしに憧れた時に、「自然の豊かさ」を求めていても、その村に入れば、やはり近所付き合いは必須です。

ただ自由に生きたいだけだと思っても、それは地域差があるからです。

キャンプ場にて

日常生活から離れて、気ままな時間を過ごしたいと思ってキャンプ場に行ってみると、意外と隣りからの接触が多かったりすることがあります。

「良かったらどうぞ」

作り過ぎたからと、料理をお裾分けしてくれるキャンパーがいて、嬉しい気持ちになることもあれば、「ありがとうございます」と家にいる時、職場で働いている時の自分に戻っていたという経験もあるでしょう。

少しくらいズボラにしても良いじゃないか。

食べ終えてもすぐに食器を片さずに、気ままに過ごしているい時に、「結構、マイペースなんですね!」とまだ片していない食器を見て指摘されたりすると、急に落ち着かない気持ちになります。

都会暮らしに憧れるのは、最先端の暮らしではなく、人との距離感が少し遠く感じられるから。

仮に隣りの住民でも、名前や顔、職業や性別など知らなくても、互いに干渉しないから心地良いのです。

しかし、田舎暮らしをしていた頃はそうではありませんでした。

「今からお出掛け?」

「今日は早かったね」

誰がいつどこに行くのかまで知っているのが田舎暮らしというものです。

それだけ団結力も強いのですが、時に思春期などには過干渉にも感じます。

そんなことがキャンプ場という場所にも起こり得て、時に気晴らしのつもりが気を使いに行ったようなものということがあります。

「その焚き火台、どうですか?」

気になるのは分かりますが、できるならその質問はショップの店員にして欲しいとも思います。

「まだ一回目でよく分からないですが、良さようですよ」

やはり一瞬で社会人の顔に戻ってしまいます。

人が人として生きる限り、自然豊かな場所でのんびりするなら、テント設営の場所選びが肝心です。

もちろん、日常生活には無い出会いを求めて、キャンプ場を訪れる人だっているでしょう。

異性同性を問わず、現地での出会いを求めているので、話相手を探しているのです。

ソロキャンすると、相手からは同じ目的と思われるのか、何か話したげできっかけを探しているのが分かると、設営場所を間違えたと感じます。

いざというような緊急時は別としても、程よく距離感のある時間を過ごした時には、あまり人目を気にしたくありません。

意外にも、それが一番の目的なら、ホテルに泊まった方が確実かもしれません。

結局のところ、「一人きりになりたい」って簡単ではありません。

のんびりできると思っていたのに。

程よい「放っておいてくださいね」を伝えるのは難しいことです。

男性のこみちでもそうなので、女性のソロキャンなどは何かと敏感になりやすいかもしれません。


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