キャンピングカーで旅をする!? 「限界集落」とは何かを考える

そもそも 「限界集落」って?

人々が片寄せ合う生活の場「集落」も、社会的な意味で永続できない状況になると住むことが格段に難しくなる。

例えば、片道30分以内の場所に食料品を買えるような店が無いだけで、日々の食事は時間も手間もかかる。

最近のキャンピングカーなら、冷蔵庫もあるし、電子レンジもあるので、数日くらいならどこに居ても住めるだろう。

しかし、キャンピングカーそのものでは住民票の所在地にはできないから、行政的な意味で「住まい」とは認められていない。

「行政的な意味で」が叶わなければ、どこか別の場所に自身の所在地となる「住まい」を持つ必要があり、それは従来からの「家屋」という場所が必須になる。

とは言え、キャンピングカーなら車として自由に移動できるし、食料品があれば車内でも調理もできる。

さらにトイレがあれば、キャンピングカーだけで一時的にどこでも住めるだろう。

「限界集落」の多くは、都心部から離れてた場所にあって、集落に住む人々の高齢化も進んでいる。

車を運転できなければ、物を遠くから運ぶことはできないし、近くに食料を調達できる店舗などがないと、住みなれた場所でも住み続けることは本人の意思とは別に難しい。

キャンピングカーで自由に「各地」を巡る?

キャンピングカーを手にしたなら、日本一周にでも挑戦したいと思う人もいるだろう。

それは全国各地を巡る旅でもある。

しかし「各地」と言っても、日本中のどこにでも永住できるとは限らない。

その一つが、先に紹介した「限界集落」のような地域から「離村」となってしまった地域に見ることができる。

生まれ育った土地には、人には伝えられない想いがある。

それでも集落を離れなければいけない時代の流れがあって、そこには「人が生活する」という本質が問われている。

もちろん一時的な意味であれば、装備の充実したキャンピングカーなら快適に過ごせる。

しかし、時代の流れによって生活を継続できなくなってしまったという背景を考えると、いくらキャンピングカーだとしても長く生活を維持するのは難しい。

全国各地を気ままに巡りながら、キャンピングカーで旅をすると、途中から似たような「集落」や「情景」に出会うはずだ。

なぜか?

理由は簡単で、気候や地域性などの違いはあっても、「生活していく」ために相応しい場所には一定の条件があるからだ。

そして、ある一定数以上の住民がそこに暮らし、「集落」として成立していなければ、時と共にその地を離れることになる。

こみち自身、厳密な意味で日本一周を達成した訳ではないが、気ままに全国各地を訪れた時代がある。

意外と覚えている景色は、見慣れた情景の場所ではなく、少し癖のある場所がほとんどだ。

それこそ、全国各地を気ままに巡っても、人生経験が豊かななるとは言い切れない。

なぜなら意外と人間の生活は自由ばかりでできていなくて、ある程度の制限があるからだ。

完全な自給自足を目指すにしても、医療や老後まで考えると、社会と無縁にはなれない。

その意味では、どの位のレベルで社会との関わりを保ちながら、日本各地を巡るのかになるだろう。

今回は「限界集落」という集落の変化をベースに、キャンピングカーで旅をする意味や意義に繋げたかった。


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