例えば「出会い」を求めた旅でもいいじゃないか!?

 中高年にとっての「恋愛」って何だろう?

「中高年」の特徴は、「あとどれくらい健康でいられるだろうか?」と悩んでいることだ。

40代も後半になると「徹夜」よりも「早起き」が良くなる。

20代までなら「睡眠」など気にしなかったし、実際に72時間連続して仕事をこなした経験だってある。

それくらい「ライフサイクル」が自由に変更できた。

ところが、中高年になると我慢にも限界があって、集中力も記憶力も何もかもが減退してしまう。

もちろん、恋愛についても同じだ。

若い娘と豊島な女

世間的には、男は若い娘を好む。

しかし、中高年になったこみちはちょっと違う。

というか、若い娘との恋愛がイメージできないし、豊島な女だって十分に年下だったりもする。

とにかく、「生涯を誓いあえるような恋愛」はもう無理だ。

最初から終わりがあると知りつつ、「今」を過ごすことしかできない。

「この女を欲しい」という感情は、独占欲から生まれる。

しかし、束縛したいという感情よりも「今」を過ごしてくれたことで満足で、できることなら互いのタイミングで顔を合わせられたらそれで十分だ。

相手に恋人ができて、その人にも会うことができて、二人が幸せそうならそれが理想だろう。

間違えても、先が残されていない中高年が若いこれから活躍する青年に張り合っても仕方がない。

「若さ」は「可能性」

そうは言っても「若さ」は羨ましい。

なぜなら、そこに「可能性」があるし、「期待感」があるからだ。

性別を問わず、例えば十代の若い人たちを見ていると、それだけでどんな未来が待っているにだろうと想像できる。

こみちが亡くなっている50年後も生きているだろうし、その頃はまた彼らが若者たちに同じような感情を抱いているかもしれない。

中高年になり、本当に歳を取ったと実感する。

まだ少ないが、年齢の近い同世代の不幸なニュースを聞けば、そんな年齢になって来たのかとその時々に何度も感じてくる。

中高年にとっての「旅」とは?

若い人が野宿していても、そこに不幸なイメージはないだろう。

しかし、中高年のこみちが気ままに野宿してしまうと、周囲からは「家がないのだろうか?」と思われる。

小綺麗にしているからまだその辺にいる「中高年」でも、数日間ヒゲも剃らないでいたら、一気に印象は変貌する。

だから、冒険のような旅は若い人に任せて、日常生活を残しながら程よく「旅」を取り入れたい。

キャンピングカーを使ったり、オシャレな自転車で移動して宿で寛ぐのも中高年としての心得なのだ。

徒歩で日本一周とか、そんな旅をしてしまうと、どこかで職務質問を受けるだろう。

見方によっては「徘徊」に思えるからだ。

だからこそ、中高年はキャンプ料理に精を出す。

家で作ればそうでもない料理も、キャンプ場ならオシャレに見える。

「少しどうですか?」

隣のキャンパーにお裾分け。

「美味しそうですね!」

そこに笑顔がもらえたら、それで満足だ。

名前や住所、職業などを根掘り葉掘り聞き出すよりも、たわいないやり取りでいい。

でもそう思うのはこみちが少数派だからかもしれない。

実は若い頃からそんな所があって、相手から「もう一歩先を求められている」と知っていても、「今日は楽しかった」で終わった出会いも多い。

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