理論や理屈はいろいろで
ランニングを始めて、「走る」ということに興味を持ち、youtube でもランニング系の動画を観ている。
「キロ5分で走るには?」とか、「1000mタイムアタックをした」など、趣味としてランニングを楽しめるのも、youtube が身近になったからだろう。
陸上競技って、プロランナーが国内にどれくらいいるのだろう。
野球やサッカーのように、プロという道が拓かれていなければ、「ランニング」を職業にするのも簡単ではない。
例えば、マラソン競技でオリンピック候補になるのがとても大変で、その狭き門に挑むランナーは、いろんなことを犠牲にしてランニングを続けているだろう。
楽しいだけではできなくて、結果に追い詰められてしまい、さらに故障にも悩んだりして、いろんなことと戦って、「競技」を続けている。
「成功の軌跡」としてメダルを獲得したランナーの苦労話は大好きだし、何より努力が最終的に実を結ぶからこみちも安心して観ていられる。
とはいえ、輝ける人の影に、多くの人の涙や努力があることも忘れてはいない。
ランニングに限らず、人生を生きていれば、いろんな挫折があって、自己否定することもあるだろう。
諦めるのは簡単だけど、「やり切ったのか?」という部分だけは誰しも誠実でありたいはずだ。
さらに、陸上競技の一端に触れて、「陸上競技ってこんな世界なんだ!」と思った一方で、「やっぱりどこの世界も同じだなぁ」とも思ってしまう。
才能ある人はドンドン結果を出していくし、こみちのように鈍臭いタイプはなかなか結果も出ない。
前に進んだと思ったら、また逆戻りして、「またここから?」を延々と繰り返している。
仕事で疲れた時や運動したいなと思った時に、「ちょっと走ってこよう」といつでもできるのがランニング。
3キロくらいで帰る時もあれば、5キロ、10キロと走って汗をたくさん流す時もある。
今朝も5キロくらい走ったけれど、何か物足りなくて夕方にもランニングをした。
5キロにしようか10キロにしようか。
ペースやピッチのことなど気にしないで、淡々と自分のペースで走って行く。
結果的にキロ6分くらいで走った。
こんな時に走るのは、楽に速くではなく、いかに心地よい疲労感を得られるか。
やり切った感覚が欲しくて、距離やペースを決める。
ある意味で、ランニングは趣味だから、それこそ結果が求められるものではなくて、誰かから評価されたりもしない。
たくさん逃げ道のある趣味。
一方で、選手たちはそうではないだろう。
結果によって将来が変わることもあるし、見たい景色を見れるかどうかも決まる。
だから、練習の1日が貴重で大切だろう。
ランニングに関する理論や理屈って、youtubeを観ているだけでもたくさんあって、「こうすればいい」といろんなアドバイスが示される。
きっと選手たちは監督やコーチと信頼関係があって、彼らを信じてトレーニングを続けながら、自身の未来も託しているのだろう。
確かに、理論や理屈として正しくても、それを誰がどう信じて受け入れるのかは、監督やコーチになった人の実績も関係する。
なぜ、監督やコーチに任命されたのか。
やはりそこにもいろんな意味があって、「背負えること」が凄い。
「サブ4」って凄いの?
「サブ3」で何が変わるの?
難関の国家試験が合格率数%というけれど、やはりランニングの世界でもその数%に入れないと、競技者としてステップアップしては思うように進んでは行けない世界なのだろう。
何が言いたいのかというと、キラキラと輝いている現役の選手たちには悔いなく頑張って欲しくて、市民ランナーや趣味でランニングを始めたこみちたちは、「走る」楽しさをケガしないように長く続けて行きたいし、行って欲しい。
「今年も「サブ4」まであと数分足りなかった!」
それも、いいじゃないですか。
また次回の楽しみができたから。
夕方、ぶらっと走って思いました。
ランニングって楽しいですね。
それに今まで以上に陸上競技にも関心が持てて、トップ選手たちの熾烈な争いに感動させてもらっています。
みんな、それぞれの場所で戦っているですよね。
だからこそ、趣味は趣味で楽しみたいです。