ディスカバーチャンネルで見た「儲ける人の特徴」を振り返ると
ディスカバーチャンネルで見つけた億万長者が一から儲ける企画。
その行動をよく観察すると、儲ける人には特徴があった。
そこで、YouTube で稼ぐための行動に照らしてみたいと思う。
特別なことは何もなかった?
稼ぐという意味では、ニーズをいかに汲み取れるかがポイントらしい。
一般的なビジネスでは、商品販売もサービス提供だとしても相手はお金を払ってくれる人が対象になる。
ところが、YouTube では視聴者がお金を払っているとは限らない。
という意味では、一般的なビジネスセオリーを考える前に、どんな人がどんな動機でYouTube を観たいのかを掘り下げると、もっと幅広い世代が関わっていた。
踊ってみた。歌ってみた。
何かを始めたいと思った時に、世代によって目的が違うかもしれない。
これは保険会社のCMで見かけたセリフだが、世代によって求めている保険は違うから、上手く自分に合った組み合わせを選ぶというもの。
10代の、20代の、と考えると、もしかすると求められているニーズに特徴があるかもしれない。
一方で人には欲がある。
個人によっても微妙にその内容は違うけれど、頭で考えて行動する以前に、動機となり得るからだ。
見たい。知りたい。楽しみたいというポイントは、視聴者求めるYouTube には欠かせない要素だろう。
ある人気YouTuber の月収が500万円を超えていると知り、多くの人がYouTube に関心を持つのも頷ける。
一方で、収益に関わる広告費が低下しているという噂もあって、人気YouTuber の撤退も耳にする。
ある意味、ちょっと世間からズレたことをして、「何かの人?」という興味を持たせる手法が流行っていた。
要は視聴者を集めたいのだから、理由はどうであれ、興味を持ってもらうことがポイントだったのだろう。
しかし、それも5年間の手法で、当時はそんな興味に視聴していた世代も入れ替わり、また同じような流れのチャンネルが増えたことで個々のチャンネルの視聴回数は減ってしまう。
一方で、例えば車屋や自転車屋のように、リアルにビジネスを行うながら、商品やサービスに関連した話題を紹介しているチャンネルも多い。
資格取得や趣味の分野でのコツなども、潜在的に知りたいことだからだ。
言い換えると「何コレ?」という単純明快な動機が視聴につながっていた時代から、より細分化されたテーマで視聴される時代に移行しているともいえる。
最近で言うと、ゲーム配信で感じたことだが、何を扱うか?よりもどう扱うかが問われ始めて来た。
雪の中での車中泊は…
一時期ブームになった車中泊だが、今でも人気のあるキャンピングカー系チャンネルは多い。
その中で、この冬場の積雪の北国で、車中泊をしているコンテンツがあった。
しっかりと遮熱対策されたキャンピングカーなら、寒い北国でも安心して車中泊できるのかもしれない。
しかし積雪によりマフラーやFFヒーターの排気口が塞がってしまうと、車内に排ガスが逆流する可能性がある。
それこそ夏山登山と冬山登山が別物であるように、積雪の中での車中泊はしっかりとした対策が欠かせない。
中には安全面よりもコンテンツの面白さを重視された動画もあって、マイナス何度でも大丈夫だと山奥での単独車中泊を行っているケースもある。
エンターテイメントという括りでは、安全面を重視しなくてもいいと言えるのかは分からないが、「見てもらえる」だけで本当にいいのかとも感じる。
テレビ番組なら、「必ず専門家の指導を受けて行なっています」というようなテロップが流れ、素人が安易に真似しないことを注意喚起している。
つまり、自己責任というルールは、敷居を低くできる一方で、長い目で見ると発展を妨げてしまうことにもなる。
子どもや知識不足の大人が真似て事故やケガをしないのか。
そこを重視し過ぎるとテレビ番組と同じような難しさになってしまうだろう。
ある意味、YouTube も世間の流れに従いテレビ同様の規制を描けると、コンテンツに対して厳しくなるだろうし、また一方で収益の一部を損害や発展のためにプールするだろう。
そんな風に考えると、YouTube もちょうど提供するコンテンツに対して過渡期なのかもしれない。
「実はどうなんだろう?」という素朴な動機
「あの店の商品を全部買ったらいくらになるだろうか?」
「飛行機を乗りづいて何日で世界一周できるだろう?」
「アマゾン川の奥地で一週間生活してみたらどうなるだろう?」
予算を度外視すれば、素朴な疑問はまだまだたくさんある。
テレビ番組として企画するなら、間違いなく一人では撮影しないだろう。
そこをYouTuberが単独で撮影し、動画を公開できれば、視聴者を独り占めできるかもしれない。
一方で、撮影に伴う危険性や安全対策は自己責任になる。
人間の能力を技術力が上回り始めたという事実
例えば、自動運転の自動車が普及すれば、それこそプロのドライバーは役目を終えるだろう。
同じ性能の車を操って、どちらがより速く走らせられるのかを競った時に、人間の能力では太刀打ちできないからだ。
つまり、このようなことが社会生活の至る所で起こる。
人間が訓練し努力しても、結局は技術力には敵わない。
そうなった時に、人間は技術力という社会で生きることになる。
つまり、目的を見つけられないまま、その場の興味だけで生きることになる。
実際、YouTube を通じて何か学ぶに活かしている人がどれだけいるだろうか。
ある店の商品がいくらなのかという素朴な興味も娯楽としてはいいけれど、我々が今後生きる中での心得は別のところにある。
もっと言えば、なぜコロナ禍は未だに出口が見えないのだろう。
もしかすると、人間は「こうでありたい」という理想を描き、その方向に進むことはできても、本当に受け止めるべきことと向き合う力が減っているのかもしれない。
その意味では、コロナ禍は今でも技術力で克服できていない分野。
すると技術力に依存し始めた人間は、今まで以上に不慣れなことを強いられる。
これって、YouTube の稼ぎ方にも通じていて、人間の欲や好奇心をくすぐる手法なら儲けられ、酷な社会ネタでは視聴してもらえない。
そして、欲や好奇心の分野は飽和状態で、もうこれ以上の展開は期待できそうにない。
人間の関心が頭打ちになってしまうと、それだけ興味を持てる内容も広がらないから、動画製作も同じような内容を繰り返すしかできない。
時間潰しにはなっても、積極的に視聴したいと思えるコンテンツを作るには、人間の関心や興味を増やすこともポイントになるだろう。