高齢化が進む日本ですが…
労働者人口の減少や高齢者の増加など、日本が今後抱えるであろう課題は、どれも簡単に解決できません。
そんな中、例えば将来は日本ではなく、海外で悠々自適に暮らしたいと考える人もいるでしょう。
日本での生活コストと比較した時に、比較的に安価で生活できると言われる国もあり、温暖で自然豊かな場所で、のんびりと過ごせたら日本では経験できないひと時が待っているはずです。
日本国籍を保持した一時的な海外生活
当たり前ですが、日本国籍を失うと元日本人も扱いとしては「外国人」になります。
その際に再び日本国籍を取得するには、「帰化」申請を経なければいけません。
その審査には一年を要することもあり、日本人になりたいと思っても時間が掛かります。
つまり、定年退職後に数年間限定で海外移住を検討するのであれば、その後に帰国し国内の公的な介護サービスを受けられます。
しかし、国籍まで失っての移住では、移住先の諸外国に従うので、公的介護サービスが整備されていない場合には、その負担金額も用意しなければいけません。
「日本」ってどうなの?
YouTube を見ていると、日本人を喜ばせるワードってありますよね。
礼儀正しいとか、真面目とか。
帰る時もゴミを散らかさないとか、一列に言われなくても列べるとか。
外国人が撮影した日本に関する動画では、小さな子どもが手を挙げて横断歩道を渡るシーンを興味深く注目されていました。
諸外国ではどうなのかはわかりませんが、読み書きができることも当たり前ではないでしょう。
それは治安の維持があるからで、子どもが安心して学校に行き、友だちと遊んで学ぶことで、社会的なベースが整うのでしょう。
ある意味、相手に対する期待値も、もしかすると国内と国外ではその認識が違うかもしれません。
そんないろんなことを含めて、海外生活を目指すのはありだと思います。
一方で、日本的な文化やマナー、習慣に慣れてしますと、ちょっとした瞬間に海外ではひと手間、ふた手間を感じる機会もあるでしょう。
その一例が、とりあえず日本ではお金を出せば物が買えて、しかも食べ物も美味しい。
家庭料理が作れなくても、コンビニがどこにでもあって、レンチンくらいできたら食べることに困りません。
それこそ、「車旅」というテーマでも、快適過ぎるが故に、旅情を感じにくいくらいです。
こみちが考える「天才」とは?
突然ですが、みなさんはどんな人を「天才」だと思いますか。
Macのスティーブ・ジョブズさんなどを思い浮かべるかもしれません。
もちろん彼は天才です。
これだけ世に多くの革新を生み出してくれたので。
でも、あれから5年も経過すると、もう天才の定義が少し変化しているように感じます。
誰かが思いつなかないような「奇抜さ」は、それこそもう天才を証明するバロメータではありません。
それだけ、いろんな物に対して、上に上に被せてしまったことで、内部の混乱が顕著になっているからです。
例えば、青少年の育成に関して、社会は保護することも必要です。
一方で、大人とみなし、一切の責任も自己責任としてしまうことも考え方としてはあるでしょう。
でも、青少年をまだ未完成で、これから成長し大人になると考えることは、これまでずっと大切にされて来ました。
例えば、「学校に行くべきか?」という部分でも、終身雇用のような社会構造が失われると、一般常識という知識部分だけでなく、コミュニケーション能力も育成されてきました。
でも、YouTuber として若くして稼げたら、今さら学校で何を学ぶのかと思ってしまうかもしれません。
お金を出せば、商品が買えることに慣れているからです。
これって、日本が大切にして来たベースがあるからで、それこそ、時代が変われば物が当たり前に陳列されていないということも起こり得ます。
「今すぐ買いたいなら、プレミアムコースに入会して」という時代が来るかもしれません。
何かに秀でた天才も、大部分の日常生活では、一般人と同様のことを強いられます。
むしろそれができないことで、感じる不便の方が多いでしょう。
「個人の自由を尊重します」というと、何か自由にできるイメージですが、むしろそれ以上に義務というかノルマが明確になり、人によっては自由を感じられなくなってしまうこともあります。
奇抜さや奇想天外なことも、一部分だから周囲の社会が受け止められるだけで、大半の人が同じようにし始めると、それまで行った負担が、全て義務となって回ってきます。
合間にできなくてもよかった人が、それを義務として突きつけられた時に、一気に不便を感じてしまうでしょう。
汎用性に乏しい能力だけでは現代社会で生きられません。
YouTube を見ていても、段々とワイワイ楽しく騒ぐコンテンツがおすすめに出て来なくなって、こみちならこみちが興味関心あるコンテンツだけになりました。
つまり、ワイワイ楽しくというコンテンツはこれからもずっとニーズがあると思いますが、でも視聴者層が絞られて、視聴回数は伸びなくなってしまうでしょう。
勢いがある時はそうでもないのですが、ふと立ち止まった時や行き詰まった時に、社会のベースがどれだけ保たれているのかを考えることがあって、「楽しいだけで良いのか?」という課題に行き着きます。
100g が100円の肉と1万円の肉を食べ比べてみたら、どうなるでしょうか。
結論を言うと、金額ではわかりません。
本当に一流の料理人が作るなら別ですが、素人の料理なら適切な手順であることが大前提だからです。
これってイヤホンを選ぶ時にも感じました。
高性能なイヤホンほど潜在能力が高いのは疑う余地もありません。
しかし、個人でそれを聴き分けたり、満足度という意味で不満かと言うと、また別だからです。
でも、この曖昧な部分はとても大切な感覚で、クリエイターが創造性を発揮するベースだからです。
一方で、「1万円の肉を焼いて食べた!」という動画を撮影しても、視聴者側も段々とそこに意味が薄いと気づきます。
食べたことがないから、きっと凄いと思っていたら、実際には焼き方の方がずっと大切で、肉も下処理次第だと知るからです。
さらに言えば、大トロが赤身よりも美味しいというのもウソで、料理の仕方によってベストな食材は変わります。
濃厚な脂分が口に残り過ぎる時は、少し値段は安くても脂身の少ない方が好ましいからです。
きっと、これからのYouTube も、極端な奇抜さではなく、クリエイティブな合間さが主流になるでしょう。
そのためには、ベースとなる部分が必要で、思いつきだけでは補えなくなるはずです。
結局のところ
国籍を変えるほどの生活基盤の変更は、しっかりと調べてからがいいでしょう。
安易に国籍を変えてしまうと、再度戻れなくなったり、時間が必要になったりするかもしれません。
その意味では、一時的に海外生活を経験し、日本の良さを再認識してみるのも良い方法です。
そのテーマを選んだきっかけは、円安や少子化という最近の国内事情を思ったからです。
じゃあ、今の若者が日本を出て海外生活を目指すべきかと考えた時に、国籍まで変えるつもりなのか、いずれ戻ってくるのかでも違います。
確かに日本は高齢者の割合が高い国。
でもそれは、社会福祉や医療機関が機能している証拠とも言えます。
高齢者など、その地域で暮らすことが困難になった人を地域包括支援センターのスタッフがサポートしてくれたりするのも、社会がそんな構造を作り、運営しているから。
自分らしく生きたいと思っても、それだけでは生きられませんし、逆に誰かを支えると義務付けても、何もできない人では支えられません。
こみちを筆頭に、多くの人は平均的な能力です。
もしかすると、こみちはそこにも到達していないかもしれません。
そんなこみちみたいな人が「自分らしく生きる」と考えても、社会や他人を守ることもできないで、自分の想いだけが強くなってしまうでしょう。
国内か海外ということ以前に、こみちの場合は「自分に何ができるのか?」をもう一度考え直そうと思います。