「YouTube 」だからできたことを深掘りしよう!

 ただ「愚痴」を話すだけのチャンネル

例えばテレビ番組が企画されて、関係者からの承認が降りて撮影編集と進むのなら、YouTube では企画と同時に承認まで済んでしまう。

「これって面白いくない!?」という発想を、とりあえず試すことができる。

その一例が「愚痴」だけを延々と話す企画ではないか。

テレビなら、まず企画を立てた段階で、上司に「それ面白いか?」と質問されるだろう。

一般的には、愚痴を聞いて癒される人は少ない。

むしろ話した側が、話したことでスッキリし、気持ちが楽になる行動だと思う。

だからこそ、「面白いか?」という質問になるのも当然だろう。

しかし、YouTube チャンネルの中には、そんな愚痴を含んだネガティブ思考が共感を生み、生きる希望や助けとなる欠かせないチャンネルになっていたりする。

自動販売機のジュースを買い占めるチャンネル

例えば、街中にある自動販売機のジュースを全て買い占めるとどうなるだろう。

そんな企画は、テレビ番組としては当然成立しない。

全部買い占めて3万4000円でした。

と分かったところで、隣の自動販売機はまた違う金額だろう。

それに何十本も買ったところで、それを持って移動するのも大変だし、普通に考えると日常生活ではメリットが無い。

でもYouTube なら、企画として成立させることができてしまう。

万歩計を付けて生活するチャンネル

「万歩計をつけて、1日1000歩しか移動しないで生活する」というような企画も、だから何だと言われれば、「いや別に」としか言い返せない。

でも、そんなある意味でどうでもいいようなことが、時としてYouTube では面白い企画になり得る。

テレビでは難しくても「YouTube 」ならできてしまう企画

「後ろ向きにしか歩けない」「ずっと片足ケンケンで移動する」「利き手は使えない」などなど、あえて取り上げる意味があるのかと聞かれて答えられない内容だとしても、万が一ウケるかもしれない。

例えば、「燃費のいいスーパーカブで満タンなら何キロ走れるか?」とか、「ゆでたまごは何分茹でると丁度いいか?」のような検証系の企画をよくみかける。

最近では、スタットレスタイヤの性能評価を検証した動画も見た。

例えば各社が販売しているスタットレスタイヤの性能評価をするのであれば、同一の環境下で比較するのが大前提になる。

テレビ番組の場合なら、制動力テストを目視で確認したスピードとドライバーの加減で踏み込んだブレーキで、制動距離を測定してはクレームになるだろう。

空気圧は適正だったのか、タイヤの表面温度に差は無かったのかなど、タイヤの性能を左右する基本的な条件が整っていなければ、結果を公開することは無謀過ぎる。

でもYouTube であれば、「今回のテストでは…」という前置きを付けることで、本来なら比較を公表できない内容も一例としてできてしまう。

同じことが、車のレビューなどにも言えて、「ハンドリングが重いですね」と感覚的なコメントをした時に、それが車の構造的な問題か、単なる整備上の問題かも特に問われないままだ。

「プロ」と呼ばれる人はその分野の知識や技術だけでなく、「公正にテストする」という意識を持って、レビューに対する裏付けを確認しているからこそ我々消費者は正しい情報として受け止められる。

ケンカと競技としての格闘技の違いはどこに?

街中でケンカをすると、決闘罪に該当する可能性がある。

怪我をさせると傷害罪にも触れる。

しかし、スポーツとしての格闘技は、その競技性から違法性が阻却される。

例えば、公益性の高いテレビ番組内で、ケンカしている内容をエンターテイメントとして撮影した場合、そこに違法性が無いと言えるだろうか。

格闘技として広く認識されているボクシングが、「ケンカ」ではないと判断されるのはなぜか。

これが、公益性が認められるテレビ番組ではなく、一般のYouTube コンテンツだったらどうだろうか。

仮にボクシングの形式に倣っていたとしても、そこにボクシング団体との関係者は皆無で、ボクシンググループを付けているに過ぎない場合でも、違法性を阻却できるだろうか。

それこそ、テレビ番組は放送倫理機構があって、番組の内容を審査している。

共通の事前ルールに反した場合には、最悪、番組の打ち切りなども行われる。

しかし、その意味ではYouTube コンテンツの場合、YouTube によるガイドラインはあっても、チャンネル運営者サイドの裁量に任されている部分が多い。

どれだけゆっくり歩けるか?

例えば、100メートルの距離を誰が最も遅く歩けるかを企画にしたとしよう。

その撮影で、ある道が無許可でつかわれ、しかも一見すると道を占拠しているような行動が取られていたとする。

言うなれば、その道沿いの住民には、見知らぬ人たちが居座っているように見える。

一般的に公道を行き来するのは誰でもできる。

しかし、家の前に何もしないとは言え、数時間も人が立っていたらどうだろうか。

よく見れば、撮影用のカメラが頭部に付いていて、ちょっと怖不気味で怖いという雰囲気がある。

例えば、その動画がYouTube 上で公開されて、記録である3日間に相当する「72時間」で、その結果に視聴者からウケたとしよう。

企画としては大成功だが、撮影方法や手順に問題がなかったのか気になる。

今のテレビ番組ではもうできない!?

かつてテレビ番組で、人気の店だと演出する目的で人の列を意図的に作り、それがヤラセとして指摘されるケースがあった。

事実とは異なる演出を加えたからだ。

しかし、YouTube では、テレビ番組のエンディングに流れる「フィクション」であるという告知も存在しない。

真実か作りものかは、視聴者に委ねられている。

だから、20キロの量のラーメンを30分で食べるといういう企画をYouTube で行う場合、それが実際にはフィクションで、誤解を招く内容だったとしても、「ネタ」としてウケることができれば問題ないこととも言える。

動画視聴のきっかけとなる「サムネイル」の画像を意図的に編集し、誤解を招くような修正を行なっても、テレビでいう「ヤラセ」演出には当たらない。

今、テレビ番組の放送がどんどん規模を縮小させている気がする。

安全で安心な内容を目指すあまり、YouTube 動画のような面白味が減った。

でもトークなど部分的にみると、テレビタレントの腕は凄いし、中にはYouTube という場所でも活躍している芸能人も増えた。

それこそ、テレビでは難しい内容もYouTube なら気軽に「やってみよう」と始めやすい。

もしもYouTube が国内の運営会社なら、国内の社会通念がもっと浸透していた可能性が高いけれど、そうでないことがいい意味で自由が生まれ、今のテレビ番組ではできない内容でもできてしまう。

テレビとの違いに注目しながら、どんなチャンネルがヒットを生むのか、今後もYouTube で面白い動画を見つけたい。



こんな記事はいかが?