ワールドカップ「日本VSコスタリカ」戦から学ぶこと

 個人主義で大丈夫だろうか?

かつての日本人は勤勉で、長時間労働を続けていた。

昔は土曜日も働いていて、日曜日だけが休みという会社も多かったと聞く。

今では、リモートワークや副業、さらにはそもそも会社勤めしないYouTuber も増えている。

それらは、個人主義という考え方に移行した結果とも言える。

できる人は前に行き、できない人はもっと自分を磨く。

つまり、貧富の差が起こるのは、努力の量ではないかと。

ドイツ戦で勝利した勢いのある日本チームだったが、ランキング的には格下のコスタリカに勝つことはできなかった。

実際、試合内容は五分五分で、個人的にはこのまま引き分けになるかもしれないとも思った。

一瞬の判断ミスだったのか、試合ではよくあることなのか、いつもはサッカーの試合をほとんど見ないこみちには、「アレ? 何で?」と思ったプレーだった。

それを発端に、コスタリカに先制点を許してしまう。

試合全体を通して、得点できない相手ではなかっただろう。

しかし、得点する時に感じる「勢い」を比べると、海外チームに比べて日本チームの攻撃力は繊細だ。

シュート狙う距離も、感覚的には数メートル短い感じで、「打てよ!」というチャンスでも「パス」を選択していることが多い。

もしもそれが身体的な構造上のことなら、日本人のサッカーは海外勢を真似ているだけでは克服できない課題がであるのだろう。

瞬発力的なパワーは、準備から始めることが多い日本人の性格にない行動で、パスサッカーのように連携して、練習して向上させることでは身に付かない。

昔とは違い、海外でプレーする選手が増えても、根底の懸念が変わらないのはある意味で「個人主義」が合わないのではないかと思ってしまう。

一人で突破できないからこそ、チームプレーに徹し、いうならば日曜日以外働き続けることで、海外勢にはできない能力を発揮したのではないか。

聞くところによると、諸外国も以前よりもずっと勤勉だという。

昔ほど、労働人口などでも日本にアドバンテージがあるとは言えないから、それこそ「個人主義」を貫き、「できる人」と「できない人」で区別していいのだろうか。

それほどできる人に特別な能力があって、できない人は努力が足りていないのだろうか。

国内のトップ選手が出場したコスタリカ戦を見ていて、国内評価ではなく、グローバルに見ても「個人主義」であることが良いと言えるのは、トップ中のトップ選手だけではないだろうか。

親切で生真面目という特徴は、ある意味で、日本人が生き抜くための術なのかもしれない。

スペイン対ドイツ戦

朝、両国の試合を観て、ちょっと次元が違うと感じてしまった。

ある意味で日本がよくドイツ戦に勝利したとも思う。

仮にスペイン戦で日本チームが勝利できたら、こみちが思ったような懸念は間違いだったと言えるだろう。

しかし、スペイン戦でもコスタリカ戦のように、どこか歯痒く、瞬発力的なパワー不足を感じることになれば、日本人と個人主義の相性は良くないと思ってしまう。

理論上の成功を試算し、それを実現できた時に得点しているイメージがあって、未来が予測できない曖昧な状況で、願う方向に向けられる力が日本人に試されている。

ドイツ戦に勝利し、マスコミでも連日放送されていたから、ちょっと期待してコスタリカ戦を観ていたから、「あああああ」って感じで試合後も自分自身を見ているようで辛かった。

ポンと抜き出る力はないから、コツコツと努力して、今できることを続けることでしかチャンスも巡ってはこない。

「今の若者は凄いなぁ!」

本当は自身のモヤモヤした気持ちまで吹き飛ばしてくれることを期待していたんだけど。


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