「すずめの戸締まり」という映像作品
美しい映像作品を作る新開誠監督の人気作「すずめの戸締まり」ですが、もうご覧になっただろうか。
どんなストーリーだったのかには触れないが、ひと昔前とは「アニメーション」が変わっていると感じた。
日ごろから絵を描くことが好きな人なら、「手書き」か「加工」かは凡そ想像できるだろう。
特にリアルな描写は、「手書き」するよりもCGを用いた方がメリットも多い。
実際、「すずめの戸締まり」の中でも、CGによる製作シーンが多かったし、それだけ「描くこと」の重要性が変化しているとも言える。
つまり、ひと昔前のアニメーターであれば、どれだけ多彩なタッチで指示通りの「絵」を描けるかが問われていただろう。
しかし、これだけ商業作品においてはCGが活用される時代になると、アニメーター志望の人も意識を変えなければ行かなくなる。
「すずめの戸締まり」から考えるこれからの創作物
創造物とは何だろうか。
YouTube が身近になって、視聴回数が重要視される時代になり、創造物に求められる基本も様変わりしている。
先に「手書き」と「加工」が絵で見分けられると紹介した。
それこそ、写真そっくりの「絵」を描くことは誰にでもできるし、そもそも美術品としての価値など無いだろう。
つまり、まだネットが身近ではなかった時代の2000年以前なら、「リアルな描写」に一定の価値があった。
実際、写真そっくりな絵を描くことで新進気鋭な画家になることもできた。
しかし、誰もがスマホを持ち歩く時代になって、瞬時に目の前の情景を撮影できてしまうのだから、「手書き」という古典的な手法に価値を見出すのは難しい。
つまり、著作権などに触れないのであれば、トレースという手法(データを打ち込むCGも含む)を全面的活用するべきだと思う。
それは結果として、アニメーターに求められる要求も変化していると言える。
例えば、りんごなどの静物画が描けるようになると、今度は人物画へと興味が移る。
さらには光と影、さらには空気感、さらには存在感という具合に、存在そのものではなく、存在する周辺の影響に関心が向けられる。
これは、無音の静止画に感情が無いのと同じで、「静止画」そのものの価値は意外と低い。
しかしながら、例えば写真を用いて世界観を作るような場合、3枚あればかなり物語になるだろう。
今にも降り出しそうな空。誰もいない港町。コートの襟を直し歩いている女性の後ろ姿。
しかしこの3枚で物語が作られるとしても、「すずめの戸締まり」ではさらに新たな一歩が示されている。
それがこれからの創作物の在り方だった。
YouTube のようなコンテンツに慣れ親しむと、理解しやすく、興味をそそる内容であることが良しとされる。
理由は簡単で、「一回の視聴」が問われるからだ。
しかし、創作物が人々に寄り添う物であるなら、今はまだ理解できないことやこれから先に問われることも蔑ろにされてはいけないことを教えてくれる。
つまり、「すずめの戸締まり」が単なるラブストーリーではなく、新開誠監督は同時にいくつものテーマを進行させて作品を作り上げた。
その意味では、美しい映像も1つの要素に過ぎず、もっと根底にはコンセプトがあって、さらには新開誠監督が伝えたいメッセージが隠されている。
やはり、クリエイターが目指すべきは、「視聴回数」ではなく、「何を伝えたいか?」ではないだろうか。
アニメーションの限界
厳密には「限界」ではなく、特性とも言える。
それが均一に着色されるアニメーションの良さでもあり損失でもある。
新開誠監督の作るアニメーションは本当に美しい。
しかし、その美しさは「現実」に寄せた美しさでもある。
そもそも「美しい」という感覚も、一枚の写真と同じで、それだけではあまり多くを伝えることができない。
なぜなら、光を用いることなく「美しい」は成立しないからだ。
もっと言えば、人間の感情が現実社会での経験から生み出されるので、見たことがある情景や体験が多い人ほど、より深い部分で美しいを感じ取れる。
「夕焼け空」を見て、もの寂しい感覚になるのも、どこかで経験があるからだ。
人によっては何も感じないだろうし、ロボットにはそれを「美しい」と教えなければいけない。
目尻を下げ、口角を上げると笑っている表情ができる。
アニメーションでは、それを基本方針として描くだろう。
しかし、演技の上手い俳優は、そんな表情の中にもう一つ異なる感情を滲ませる。
それが、笑顔の中の寂しさや怒りのような演技だ。
ではそれをアニメーションで再現できるかと言うと、難しい。
再現するには、リアルに寄せて描くしかない。
新開誠監督の作品でも、背景にリアルな描写が多く使われるが、そうすることでアニメーションとしての質を保っている部分も大きいだろう。
しかしながら、新開誠監督の評価はそこではないだろう。
つまり、アニメーションという表現を用いて、どうメッセージを具現化したのかにある。
これから
きっと映画もCGだけで描けるようになるだろう。
もうアニメーションとか実写という垣根すらなくなり、どんな画風でもCGが再現してくれる。
最初にシナリオを読み込ませてキャラクターをAIに描かせ、さらに舞台となるシーンへと移行させ、究極は「泣ける映画」というワードだけでもAIが「作品」を作り出せるだろう。
そうなった世界で、我々が思うクリエイターとは何だろうか。
究極を言えば、我々が「お客様」になってしまう時代が到来するだろう。
新開誠監督の今回の作品や、YouTube のコンテンツを眺めて、そんな近未来を感じてしまった。
みなさんは「すずめの戸締まり」を観てどんな印象を持っただろうか。