脱サラして「日本一周」を目指す資格とは?

「 日本一周」で分かること

まだ車旅では日本一周をしたことがありません。

しかし、バイク旅での体験をもとに振り返ると、出会いや別れという出来事もありましたが、どこに行ってもそこには日常という暮らしがあって、それは異なっているようで同じことで、いろいろと知る中で、千差万別とも大同小異とも言えそうです。

考えてもみれば、同じ東京に住んでいても、そこ街での暮らしは異なりますから、日本一周の途中で出会った暮らしが、その街での暮らしとは言えないでしょう。

つまり、日本を知るという意味では、「一周」くらいでは表面的なことしか分からないでしょうし、ポジティブなこともネガティブなことも、タイミング次第で大きく変化します。

大型バイクで移動すれば、それこそ1日で1000キロも遠く進めますが、それこそ「日本を知る」という意味なら、そんなに一気に距離を稼いでも意味がありません。

実際、自転車や徒歩で日本一周を目指す人がいるのは、よりゆっくりと肌で感じたいからだと思いますし、事実、高速道路で移動すると地名が変化したことくらいしか記憶に残りません。

「車旅」にどんな価値を満たせるのか?

「車旅」に興味を持つと、YouTube で多くの人が「車中泊」に関するネタで動画を作っていると気付きます。

そこから派生して、「道の駅」や「コインパーキング」など、別のワードも注目されます。

こみちの経験では、自宅での生活を捨てて旅の生活になって3日くらい経過すると、移動する生活スタイルが日常になります。

移動することが生活なので、自宅から会社に勤務し、仕事をこなして信頼や成果を上げるという意識も失せます。

では移動する生活では、何を心地よいと感じて暮らしのでしょうか。

バイク旅の時は、初めての日本一周だったので、移動することで何か発見があると信じていました。

毎日、移動することで、未来が見えてくるという感覚で、キラキラしていたと感じました。

しかし、実際には「日常」があるだけです。

それこそ都内にいた方が、面白いことも多く、厳選された楽しさが詰まっています。

言い換えるなら、地方都市の良さは、厳選された「魅力」そのものを自分なりに見つけられます。

自然豊かな空間での暮らしは、時間の経過さえ忘れられるでしょう。

しかし、一度でも都会の慌しさを知ってしまうと、田舎暮らしはのんびりとは引き換えに、現代社会からは離脱したことを認識するでしょう。

特に70代後半くらいになると、それまでの暮らしを維持することも難しくなって、中には認知機能や目や耳の老化など、加齢に伴う不便さを感じます。

20代から自然豊かな生活を求めて、自由気ままに暮らした場合と、定年までしっかりと勤め上げて老齢年金が受け取れる場合では、老後の生活スタイルはかなり違います。

もちろん、人生がそのためだけにあるとは言えないし、今を大切に生きるという人だっているでしょう。

夫婦やカップルが、キャンピングカーで日本各地を巡りながら、「生きていること」を日々感じるのも良いものだと思います。

しかしながら、中高年と呼ばれる年代になって、「日本一周」を一周したくらいでは何も分からないですし、仮に何か発見があったとしても、どれだけのものを見ることができたでしょうか。

その意味では、サラリーマンが出張などで、全国各地に出向き、そこで記憶に残る仕事を達成させた時の思い出の方が後々の人生に強く印象に残るかもしれません。

それは、例えば、「車旅」を企てた時に、訪れた街何を紹介できるのかを考えた時に行き着く課題と重なります。

道の駅の紹介や観光地の風景を撮影することが、「車旅」の目的なのでしょうか。

以前、美女を誘って、彼女たちを演者とした動画撮影を提案しました。

ある意味で、「訪れた地域」よりも、「ドラマ制作」という意味づけの方が撮影する価値があります。

つまり、都道府県のどこに行ったとしても、その街を一回の訪問で語れるはずはありません。

だとするなら、旅ドラマの感覚で、ストーリーとして演者の言動で楽しませることができれば、それで十分ではないかと思うのです。

「車旅」チャンネルに乗り気になれない理由

家居ても、キャンピングカーに居ても、そこに健康的な精神が無いと、とてもつまらない時間になります。

狭い車内で、例えば好きなゲームを延々としていても、ある瞬間に虚しさが襲います。

心地よい道の駅を見つけて、そこに集まる人々が笑顔で楽しそうにしていても、彼らを見て自分も楽しめるのかは気持ちが健康でなければいけません。

例えば、日本一周をしながら、幸せ探しをしても、残念ながら思うような成果は得られません。

なぜなら、幸せは場所ではなく、自分の気持ち次第だからです。

脱サラして車旅で日本一周を夢に描くと、退屈な日常から解放されるように思うでしょう。

でも、懸命にサラリーマンとして積み重ねた実績は、社会的な保障として後々身を助けてくれます。

怖いのは、車旅に何か大きな夢を乗せて始めたことで、結局は何も見つけられないまま旅を終えてしまうことです。

でも、大半の旅は想像している以上のことはなく、あるとすればトラブルをどれだけ楽しめるのかでしょう。

例えば、車を海岸近くに停めたとしても、海を眺めて癒されるのは10分くらいでないでしょうか。

やはり、本当に楽しむなら、釣りをしたり、サーフィンをしたり、船で沖へと出たり、何らのアクションがないと、それだけで手に入るのは手の届くものばかりです。

その意味では、電車旅が時刻に縛られることで、その時間内で行動するという制約が生まれます。

でもその限られた中で行動することが、楽しさを生んだりします。

面白いもので、自由で何でもできる環境があっても、その余裕をしっかりと埋めなければ間伸びした時間になって、何か虚しさばかりが増してしまいます。

今の気持ち

例えば、今からキャンピングカーで一年掛けて、日本一周したいかと聞かれたら、「NO」というでしょう。

その理由は、出発して30分もしたら、なぜ行くと言ったのかと後悔しているように思うからです。

何を見たいのか、どんな人に出会いたいのかと考えた時に、それこそ気になる人はたくさんいます。

しかし、彼らに会うには、ぐるっと日本一周をする中で偶然に出会えるとは思えません。

むしろ、しっかりとアポをとって、日程を合わせて出向いた方が、より有益な旅になるでしょう。

別の機会に「影響力」について考えることがありましたが、「そこにあること」に新たな発見を見出すよりも、「積み重ねられたこと」から得られる発見の方が、価値あるものに思います。

グルっと都道府県を巡るだけでは、それほど日本一周に価値は見いだせなくて、各都道府県にいる気になる人と出会えたら、そこに大きな価値があると思います。

でも、そんな人に会ってもらえるためには、自分自身も何か持っていなければいけません。

そんな風に考えを巡らせると、単に思いつきで車旅ではなく、求めるものが見えた時に出発することが大切です。

その点では、今はまだその時ではありません。

こみちはもう少し、自分を磨くために時間を使わないといけないからです。

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