「テレビ」とは何だったのか?

「テレビ」離れが進んで

YouTube を眺めていると、3年前、5年前とは大きく変化したと感じる。

特にテレビ局がYouTube で公式チャンネルを持ち、ニュースやドキュメント番組を公開するようになったことで、さらに変化したように思う。

YouTube では「視聴回数」が求められる。

1000万回再生ともなれば、人気YouTuber の証になるだろうか。

以前から不思議に思っていたのは、生きている中で運命的な瞬間よりも、日常生活にある出来事の方が多いということ。

それをYouTube に当てはまれば、見て目から鱗が出るような一本よりも、繰り返し見たくなる一本の方が条件に当てはまる。

例えば、「チャーハン1000人分を作ってみた!」という企画を立ち上げ、東京の合羽橋で最大の中華鍋を探すところから撮影を始める。

「1000人分」ともなれば、ちょっとした祭りの目玉イベントで、そこには多くの来場者を迎えるストーリーがある。

ところがYouTube という世界観では、「1000人」という数値が目を引き、それは「1000万円」とか、「1000キロ」とか、兎に角、「量の多さ」で驚きを集めている。

「本当に一人で作るの?」

実際に動画と視聴すれば、大きな中華鍋ではなく、むしろ巨大な皿に、延々とチャーハンを1000人分盛っていくというネタだった。

もちろんこれは、こみちの作り話だが、1000人分を作ったからどうだと言われたら、特に言い換える言葉も無い。

でも、以前のYouTube では、このようなネタが沢山あって、「規格外」とか「意外性」が視聴者にウケていた。

それは、テレビのバラエティー番組がおとなしくなったこともあるだろう。

「面白くなくなった」というよりも、「面白くしなくなった」というだけ。

実際、お笑い芸人のトークは背景を知らなくても聞いてられる。

YouTuber の中にもお喋りが上手い人もいるが、番組の短い時間や茶の間という設定で聞くにはタイプが違う。

お笑い芸人がネタで大喜利をしているが、それを見ていると1つの物事をどれだけ多方面から見て、関係性や繋がりをひき出しているのか感心させられる。

「言葉」の持つ魅力を磨きあげることで、ポンと言った言葉に笑いが付いてくる。

そこに来て、テレビ局が動画配信を行うようになり、事件や事故など、世の中で起こっているニュースを独自の取材で教えてくれる。

それこそ、知らない言葉や時代背景をインターネットでも検索すると、新たな発見や繋がりが起こり、さらに情報が有益なものへと変化する。

このような体験は、かつてのテレビでもできなかったことで、言い換えると「テレビ」が一方向から双方向になったとも言える。

「車旅」チャンネルの未来

例えばテレビ番組の制作会社なら、アウトドアが似合う美女二人を軽キャンカーに乗車させ、制作スタッフは別の車で追いながら「車旅」の動画を作るだろう。

台本に沿って進行し、移動する二人を遠目からも近くからもカメラマンがしっかりと撮影し、音声もスタッフに任せていればいい。

話す内容もある程度は台本通りで、時々アドリブも入れながら、番組としての外枠はしっかりと固めて撮影は進む。

無料で閲覧できるのは昼間の旅部分で、メンバーシップ会員になると夜間の旅、例えばお酒を飲んでのトークや温泉でもショットなども追加される仕組みだ。

別に際どい内容ではなく、子どもに見せても大丈夫なアウトドアの魅力と、非日常を味わえる旅の魅力とは分けるようなものだと考えればいい。

それこそ、これから売り出したいタレントを売り込む場として、二人組みが毎回変わったり、途中で次回に登場する美女を道端でピックアップする流れでもいいだろう。

「車旅」チャンネルを掘りきれない背景

ある意味、車旅チャンネルを運営しているYouTuber も、ある部分ではタレント的で、その人を見ているだけで楽しめる。

ご飯を作っているだけでも、買い物しているだけでも、見ていて飽きないのだ。

そこで、女性なら妙にタイトな格好で、サムネイルを盛ることが多い。

こみちのような男は、単純でついつい動画視聴をしてしまうが、旅部分などはほとんど見ていない。

つまり、視聴されるために「車旅」をベースに使っているだけで、きっかけはもっと別の所にある。

でも、そうでもしないと、トーク力で人気を集めることができないのだと思う。

きっと今以上にプロの制作会社が練った動画を提供するだろうから、夫婦やカップルが思いつきで車旅を始めて、楽しげな様子を公開しても、そこから視聴者を増やしきれないと思うのだ。

もちろん、その中にも魅力ある人がいて、芸能経験がなくても、見ていたくなる存在感を発揮してくれる。

ではなぜ、テレビ局が車旅チャンネルを始めないのか。

それは「掘りきれない」からだと思う。

「掘りきれない」とは、例えば車中泊中に美女たちが恋バナをするとしょう。

でも、どこかの道の駅で撮影する必要はなく、トーク部分はスタジオのセットでも十分だと気づく。

すると、「車中泊」だからという設定そのものに必要性が薄れ、それはキャンプ場でクッキングをするという部分にまで広がる。

料理番組などで、旅先の農家などでご馳走様を振舞ってもらうシーンがあるが、いきなりの訪問では準備も間に合わないだろう。

「ヤラセ」ということを嫌いが、「仕込み」が無いと内容は簡単にスケールダウンしてしまう。

つまり、「車旅」という設定そのものの必要性がそう高いものではなく、ドライブの一種としてあるに留まるのだろう。

旅番組としてなら、移動には電車や路線バスを使い、宿泊にはホテルや旅館を訪れた方が見栄えもする。

何も「旅費を抑える」ことを優先させる理由がないからだ。




こんな記事はいかが?