「ネット社会」が作り上げたもの

 昭和時代を生きた人なら

もう、30年以上も前に「昭和」は終わっている。

だから、若い人はそんな昭和時代を知らないだろうし、平成や令和の時代に価値観や生きる意味を探しているだろう。

では「昭和」と「現代」で何が違うのか。

それはきっと「勘」ではないかと思う。

「勘」とは、直感的に認識したり、判断したり、行動したりする心の動きだ。

例えば、現代社会に勝ち組と負け組が存在するとしたら、それは社会が作り出した「ルール」に従って導き出された勝敗を指すのだろう。

昭和時代、まだ多くの仕事で物差しが使われ、表を作る時も手作業だった。

線を引くだけでも、几帳面さが表れて、丁寧さが仕事ぶりにも影響を与えた。

ところが、パソコンが登場し、エクセルを使うようになると、線を引くことに神経を費やす人はいない。

そこに上手いも下手もなく、線は線なのだ。

そこから想像すると、「仕事ができる」という評価も時代の移ろいで一変しただろう。

「優秀さ」や「未来像」も、当然ながら昭和時代にあったはずの理想が、今はもう無い。

なぜ、町から商店街が消えたのか。

全国各地を巡っても、街が似ているように見えるのはなぜか。

車旅を考えた時に、それぞれの地域の特性がどこにあるのかわからない。

コロナ禍もあって、イベントも自粛されると、なおさらどこで何をしていても同じように思えてしまう。

昭和時代なら、ちょっと珍しい物は都会にしか売っていなかった。

しかし、Amazonを使えば、日本のどこにいても買い物ができる。

もちろん仕事だってそう。

通勤電車に1時間も揺られて会社に行かなくても、パソコンさえあれば必要最低限のことができてしまう。

東京を出発し、千葉、茨城、福島と車で巡った時に、それぞれの土地でしか体験できないことってなんだろう。

それこそ各地の観光や特産品があるとしても、実はそう変わらないように思える。

毎年、住みたい街ランキングとか、住みやすい街ランキングが、いろんな所から発表されているが、利便性や治安、インフラや行政の取り組み、さらに災害リスクなどを基に判断すると、地価に反映されている。

例えば、水もトイレも無い山奥に住んでいれば、自然の豊かさは肌で感じられる。

しかし買い物するにも往復で2時間かかるとすれば、その地域で生活すること自体が大変なことだ。

薪で風呂を沸かし、その時間、火の管理をしなければいけないとしたら、限られた時間を毎日無駄にしていると思わないだろうか。

というのも、こみちは介護福祉士の有資格者で、高齢者の介護に関わったことがある。

どんな人も自分で歩けなくなったら、もう自宅での生活は家族の負担を考えて、諦めた方がいい。

ある意味で、そうなるまでの間をどこでどんな風に過ごすのかということ。

だから最後、家族のために介護施設を使うつもりなら、目安とされる月額15万円くらいの費用を年金や預貯金で確保しなければ、最後の最後、誰かの善意にすがるようになる。

例えば自然の豊かさを子どもたちに感じて欲しくて、都会暮らしを辞めて田舎暮らしを始めたとしよう。

でも、現代の社会は、昭和時代のように経験したら仕事に活かせるというものではなく、ルールに則った教育や学力が無いと思うように出世することはできない。

それだけ社会が既にマニュアル化されているので、人もまたそんな価値観の中で生きている。

令和時代からさらに先で

人間らしい感覚や判断が、勘であった。

しかしそれを排除したことで、マニュアル化された画一的な流れが誕生した。

ある問題の答えとして、評価されるべき解答はもうできている。

つまり、現代人どれだけ正確にその解答にたどり着けるかが問われている。はずだった。

令和時代になって、既に地域差や価値観の違いも曖昧になり、つまりはどこで暮らそうとも同じような生活ができるようになる。

違うのは、機械が勘によって処理して来たことを担ってくれる。

つまり、もう人間は感性や独創性を発揮する必要はなく、むしろ与えられた価値観の中で生きていく。

そしてそんな頃には「仮想社会」が誕生し、我々はこの世界よりもむしろ仮想世界を重視するようになる。

なぜなら、社会には考えるべきことはなく、機械が全てを与えてくれる。

だから、仮想世界の中で生きて、そのために努力をして自分らしさを追い求めて行く。

ネット回線が止まれば、その間、生活そのものを失った気持ちになり、バグがあれば、まるで自然災害のように怯えてしまう。

それこそ、車旅として、全国各地巡って新たな発見を期待するよりも、数年先に迫る仮想世界の中で生き、新たな発見や出会い期待した方がいいだろう。

人の喜びも、既に何か自分で作り出すよりも、時代によって生み出された中に見つけるものになる。

鮮明なグラフィックのゲーム画面を見て、現実では体験できない世界観に浸り、生きることその価値を再現していく。


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