「車旅」と「都市開発」の関係性から想像する未来の話

 「日本列島」が一大アミューズメントだったら?

これは架空の話。

例えば、全国各地から10個の地域を選出する。

その際に共通点となるテーマを作る。

ありがちなテーマなら、「ラーメン店巡り」とか、「名水探訪」とか、順を追って辿る時に「目的」となる理由付けをしたいからだ。

「車旅」で、2泊3日くらいのボリュームなら、総移動距離は1000キロ未満。

できれば500キロくらいに設定して、ピックアップされた地域を堪能できるプランにしたい。

考えているのは、マイカーや公共機関などを使った「旅行」を、「車旅」となるキャンピングカーで再現するものだ。

観光バスを使えば、プロのドライバーが移動を担ってくれるけれど、逆を言えば集団行動が強いられるし、ある程度の規模に対応できるスポットしか巡ることができない。

一方でキャンピングカーを使うと、個々のペースで、時には寄り道や近道をして、ルートを巡ることができる。

常々思うのは、キャンピングカーがあっても、決定的なメリットが見つけられないことだ。

少し語弊があるが、「何かの代用をしている」域を超えていない。

そこで、キャンピングカーを活かせる旅や、メリットを新たに見つけ出そうというのがポイントになる。

「都市開発」を考えるには?

「地方再生」の根底に、「経済」が欠かせない。

それは、人の流動である。

今、コロナ禍で移動が制限される状況は、地方再生を考える上で好ましい状況とは言えない。

ただ何もしないで衰退するくらいなら、少しでも自分から動いて稼ぐことが理想だろう。

と言うのも、機能が停止すると、今後は一からやり直すことになるので、さらに難しい状況に陥る。

つまり、「地方再生」ではなく「都市開発」に近い。

しかも広大な地域に新たに開発される「都市開発」に比べて、既存の施設が残っている地方再生では、コスト面でも負担を増すはずだ。

仮に既存施設を活かせるとしても、従来とは異なる価値観に基づいた「都市開発」では取り壊しや利権問題で難航しないとも限らない。

持続可能な都市開発を実現することがどれだけ大変で、人口減少が始まった日本で、今言っているような試みに二の足を踏むのは無理もない。

キャンピングカーを使った「車旅」を変えるには?

結果的に、キャンピングカーでできる車旅が車中泊メインになってしまうのは、仕方ないことかもしれない。

冒頭に挙げたようなプランがいくつも生まれて、誰もが住宅とは別にキャンピングカーを所有し、仕事や遊びを今以上に満喫できる環境を作ることができたら、我々の満足度はまた一段アップするし、新たな需要が生まれることで経済発展にも繋がるだろう。

それこそ、今では不可能なキャンピングカーでの「住民登録」も、メタバースのような仮装空間を創設し、そこに登録することとキャンピングカーに設置した「GPS」によって、新たな仮装都市を作り出すことも不可欠ではない。

そのためには、車業界だけでなく、地域の自治体、さらには国の政策が連動して、未来へと向かっていかなければ意味がない。

巡り巡って、未来に求められる仕事とは、今までのような職種とは限らないだろう。

多くの仕事がネット上で完結できるようになるだろうし、多くの人は画面に向かって仕事をする。

そうなった時に、農業や製造のような部分をどう補うのか問題になる。

突拍子もないことを言えば、今後問題となる農業や製造、医療や介護などあらゆる場面で資格制が確立され、場合によってはそれも画面から申請し、仕事を見つけるようになるだろう。

医師の資格を持つ人は、リモート診察を何時間すると幾らもらえるというように、職種ごとに募集があって、上手く見つけて所得にしていく。

一方で、移行期にはまだ仮装空間は一部の人だけのものだから、まだまだ多くは従来と同じ働き方をするだろう。

そして、機械化が進み、現場仕事の多くをロボットやAIが担えるようになると、徐々に従来の仕事をなくし、いずれは全ての人が仮装空間で生きることになる。

「タイムマシン」や「どこでもドア」とは何だったのか?

そう考えると、タイムマシンやどこでもドアも現実社会と仮装空間の間なら容易に行える。

仮装空間には距離も時間も概念として後付けされるものだから、実に簡単に実現できる。

興味深いこととして、その後、さらに時間が過ぎれば人そのものさえも仮装空間の中では存在し続けることができるかもしれない。

第一世代では、似ているのかも定かではない程度の外観だが、段々と質や量が増すことで完成されるのは一般的な製品と同じだろう。


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