大人になってこそ「歴史」に触れてみる!?

 例えば「士農工商」って何だったのだろうか?

中高年になるこみちも、小学生の頃に「士農工商」という言葉を教えてもらいました。

「士」の次が「農」なのは、それだけ「米」などの食糧が生きる上で重要で、それを生産している人々を尊重していたと聞いたように思います。

例えば、こみちのように「介護士」とか「絵を描く」という仕事はなかったのでしょうか。

音楽を作るとか、小説を書くとか、人生を豊かなものにする意味で欠かせない仕事はたくさんありそうです。

ここで何が言いたいのかというと、昔も今も生き方に変化はありますが、生きている限り避けられない「副産物」のようなものは出てしまうもので、改めて大人になって考えると「昔だって誰かが担っていたはずだ」と気付かされます。

キャンピングカーで「日本一周」を掲げる時に

ルート選びや都道府県を走破するなど、それぞれが考える「日本一周」のテーマがあるでしょう。

例えば、名産地を食べてみるとか、観光地には必ず足を運んでみるとか、滝や湖には立ち寄るなど、何らかのルールがあるとより「日本一周」も目的あるものへ変わるでしょう。

「歴史」という視点で考えると、「廃藩置県」以前の日本に着目したり、文学史から各地域になる文化に触れるということもできます。

地名の持つ意味とか、街の移り変わり、さらにはそこで暮らして来た人々の生活や想いに寄り添うというのもできるでしょう。

「パイパス道路」が建設されて街の交通路が整備された一方で、旧道には昔からの地元の暮らしが残されています。

こみちの田舎にもありましたが、「ナショナル」とか「東芝」と書かれた看板を掲げた電気屋は、家財道具のいくつかが展示されていて、性能や機能で選ぶというよりも「冷蔵庫が欲しい」と告げれば、その電気屋が適当に運んでくれたりしました。

なのでこみちの家で使っているテレビはずっと東芝製でしたし、洗濯機や冷蔵庫も同様に東芝製が多かったです。

中学生くらいになって、パイパス沿いに大型量販店が建ち、段々と個人の電気屋は廃業になっていきました。

シャッターが閉まり、でも当時の看板はまだ残されていて、でも長い年月で文字も薄れてしまっていたりして、歴史というか、時代の移ろいを感じます。

そんな時代の変化を探した旅もまた、日本一周のテーマになるかもしれません。

なぜ、こんなことを紹介しようと思ったのかを話すと、多分、日本一周と言ってもそう国内の景色に変化はないでしょう。

それこそ「東京」と「地方都市」を比べるならまだしも、海に面した港町といえば、だいたいがこんな感じだというのは似ているはずです。

しかし、もう少し踏み込んで、その地域の暮らしにまで目を向けると特徴が見えてくるかもしれません。

なぜなら、そこで生きるためには不可欠なことがあって、だからこそ文化や習慣として残って来たはずだからです。

そんな風に思うと、日本一周もまた異なって見えてくるように思うのです。

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