「自由」を求めた「旅」の裏側で
まだ子どもの頃、どこか知らない国へ行ってみたいと思ったことはないだろうか。
文化も習慣も異なる国を訪れて、それこそ世界の広いを感じられたらと想像した時代もあった。
しかし、段々大人になって、「日本」という国がどんな国なのかを知ると、海外の国で抱える課題や取り組みがあることにも気付かされる。
特に個人の考えや行動、意識だけではどうすることもできない大きな問題を「国」が抱えていたりする。
少なくとも子どもの頃に夢見た「世界」は、そんな現実的な部分ではなく、自由に溢れた輝きだ。
「車旅」の楽しさには、帰る「家」があるからかもしれない。
家を失えば、国内では「定住地」を失うことを意味する。
それはつまり行政との関係が失われてしまう。
納税は「住所地」で行うから、案外家を失うことは些細なことではない。
キャンピングカーが定住地として認められていない以上、大人としての「家」としては役に立たない。
車旅をする時でも、どこかに「家」をキープしておかないと、社会復帰する際にいろんな意味で面倒が待っている。
特に身元保証人がいない場合は、どこかのNPO団体に駆け込むしかない。
レジャーとしてのキャンピングカーは楽しいものでは、その一線を超えて「ホームレス」になってしまうことはよく考えるべきだ。
思うように仕事が見つけられないと分かるし、家を借りる時にも「信用」が得られない。
国籍や住所が無いことで、社会的に苦労された人だっているはずだ。
その意味では、安易に家を無くして、住所を失うことには注意しなければいけない。
知り合いに「住所」を借りるという人もいるかもしれないが、実は自治体によっては「住所地」での生活実態を求めている場合もあり、単なる書類上の話ではないことも知っておこう。
思えば、どんなに快適なキャンピングカーで、例えば仕事も出先で完結して、それで良いように思う人もいるかもしれない。
でもケガや病気になって「保険証」を使うことになれば、やっぱり「住所地」は必要になる。
社会という枠組みの中で安心して生活するなら、「家に住む」ということが原点なのだ。
ふと、車旅のことを考えている時に、「帰る家がある」って重要だよなと感じた。