「車旅」にこだわらず、例えば「小説」でも良かったのではないか?

 ある「街」の風景

キャンピングカーに乗って、全国各地のキャンプ場や道の駅を巡ったとして、それを求めて旅に出たのかと考えてみる。

「旅」と言うと、例えば今の住まいから離れた場所に移動し、そこでひと時を過ごして帰って来ることを思い浮かべるかもしれない。

しかし、「バイク旅」をしたことがある人なら、移動中にどんどん気温が変化して、風も変わって、ゆっくりと「遠くまで来た」と肌で感じるだろう。

それこそ、東京から地方に行けば、現地の訛りが心地よくて、どことなくファッションも違う気がして、その小さな一つひとつが「旅」を感じさせる。

と言うのは昭和の頃で、今はどこに行っても、同じような格好をしている人を見かける。

それは治安のいい日本ならではとも言えるけれど、「旅」と言う目的から見れば、全国各地を巡ったとしても人生観まで変わるほどの体験ができるかは怪しい。

むしろ、都内を隈無く訪れれば、それこそ意外な出会いや発見があるだろう。

都内には、「バイク店」ではなく「三輪車」の専門店がある。

改めて都内は凄い所だと感心しないだろうか。

「〇〇だけ」と言う専門店がやっていけるし、その店を探して客も集まる。

あこもこれもと満たされることで安心してしまうタイプは、例えば旅でも「快適さ」を求めるだろうし、それは何処にいても変わらない「暮らし」を理想としていないだろうか。

改めて思い出せば、こみちがキャンピングカーに惹かれたのは「旅の相棒」を求めていたからではない。

単純に「移動オフィス」として手に入れたら、そこを基点にいろんなことができると思ったからだ。

だから、家よりも不便な車内のキッチンで、オーブンを使うような料理をしたいとは思わない。

せいぜい、フライパンで炒め物をするくらいだ。

コロナでなかったら、それこそ出先を散策し、現地の食べ物屋を利用した方が有意義な時間を過ごせる。

きっと、バイク旅をしていた時に、旅先で湯だけ沸かして飲んだコーヒーほど美味い飲み方はないからだ。

だから、意外と宿泊を車内にこだわらないなら、キャンピングカーである必要性は薄い。

今はコロナ対策もあって、自由に移動ができないから、いつも同じ住まいで過ごすくらいなら、キャンピングカーで移動して窓から見える景色くらい変化があると楽しいだろう。

映像でないと伝わらない感覚

「言葉」と言うものは便利なようで不便な道具だ。

「笑う」と言う言葉を使うと、どこか良かった頃まで思い出す。

でも、本当はそうじゃない。

例えば誰かが「笑った」。

嬉しくて?

そうとは限らない。

いろんな背景とか、事情があって、「笑顔」だったのだ。

一方で、優れた役者なら、その違いを演じられるだろう。

観ている方は、半分くらいは嬉しいと思ったかもしれないが、残りは「なぜだ?」と明確ではないものの、何かその「笑み」に違和感を持つ。

映像にこだわる理由って、何処にあるのだろうか。

例えばキャンピングカーの本質的な評価をするなら、展示車を眺めていても分からない。

それこそ「衣食住」を賄うキャンピングカーだからこそ、一週間の長期レポートが欲しい。

「キャンピングカーを運転したことがある人なら、まぁこんなものかと思うでしょうか。でも初めて運転する人だと出だしのもたつきを少し感じるかもしれません」

そんなコメントを許してくれるビルダーがあれば業界は絶対に今以上に伸びて行く。

運転席に座って、形だけハンドルに手を置き、「そうですね。これなら運転しやすそうですね」で終わるなら、レビューなど必要がない。

なぜって、そんなコメントは大体想像できる範囲だし、素人目にも感じる部分だから。

経験者の視点で「このキャンピングカーはしっかりと足回りも補強されているので、走行中も踏ん張りが効くでしょうね。でも、一般的な車とは違いますからしっかりと交差点では減速してくださいね」と言ってくれたら、初めて乗りたいと思う人も動画レビューを聞いている内に知識が増えて来る。

例えば、大きなアタッシュケースを一名3個として用意し、レビューさせてもらうキャンピングカーに積み込ませてもらうとどうでしょうか。

「このキャンピングカーにはリアに大きめの荷室があります」ではなく、「間口も広いので載せやすいし、用意したケースも全部積み込めました」と聞けば、文字だけでは伝わらない情報となる。

テレビCMではできなかったレビューだが、YouTube も段々とテレビ広告に近づいていないだろうか。

もしも、同じモデルを購入し、使っているユーザーに取材できたら、どれだけ信憑性があるだろうか。

ここまで踏めたら、YouTube でキャンピングカー系チャンネルを開設しても勝算が見込めるだろう。

このような情報を扱いたいなら、ライターになるよりもレポーターやカメラマンとして映像にこだわるべきだ。

文字ベースの「小説」でもいい!?

例えば、キャンピングカーと言う舞台で起こるエピソードを描き、それに触れた人が「キャンピングカーの旅って面白そう」と言うような感想を持ってくれることを目指すなら、「映像」ではなく「小説」でもいい。

「朝日を浴びながら、都内から国道6号線を北上している。時折段差を越える度に車体が揺れて食器棚の皿が鳴った。キャンピングカーを買おうと思って、手頃な中古車を探し始めたのは昨年のことで、妻との別居が始まった時期とも重なる。今はまだ戸籍上は既婚者だが、早ければ来月にでも独身に戻る。幸い子どもいなかったし、住まいも賃貸だから、考えようによっては良かったのかもしれない。

茨城の土浦市に入ったあたりで朝のラッシュに遭遇する。都心とは異なり、このあたりの人は皆車を使うのだろう。運転席には若い女性ドライバーもよく見かける。ふと、アイツのことを思い出した。本当に待っているだろうか。名前も年齢も外見も全くの別人だったら笑えるなと想像したいたら、一人で笑ってしまった」

ここで大切なのは、実在するキャンピングカーではない。むしろ、キャンピングカーを舞台に、描かれる物語がどれだけ興味深いのかということ。

「アイツ」との出会いやそこに更なる伏線を巡らせることもできる。

また、YouTube で展開するなら、映像と文字をリンクさせてもいい。

ただ現実問題として、映像化は手間がかかる。

多くの人がフリートークなのは、それでも相当に編集が厄介だからだろう。

つまり、キャンピングカー系チャンネルを運営するとしても、展示会場で見て回るのがやっとで、個々に深掘りしたレビューまでは難しい。

何より、取材許可を得るなら、レポーターでも多少の忖度が生じるだろう。

何をどう表現したいのかと考えることで、映像にこだわりたい理由も明確になりそうだ。


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