「自由」の定義
既に蓄えた資産を切り崩しながら生きるのであれば、誰からも束縛されない生き方さえ手に入るだろう。
しかし、何らかの経済活動を行なって「稼ぐ」ことを求めるなら、それなりの拘束からは間逃れることはできない。
ただ、その「拘束」をどのようなものにすれば、自分自身にとって「自由」を保てるのかが問題だ。
極端な話、月収が500万円あって、でも休日が「0日」だとしたら、働いている間は稼ぐことに専念するしかない。
逆を言えば、月の大半は自由で、でも所持金が100円しかなければ、やはり欲しいものを気軽に購入できるとは言えない。
「自由」であり続けるには、自由になるお金と時間バランスが大切になってくる。
社会制度も考慮するべき!?
まだ二十代くらいの若い人なら、老後や年金額を気にしていないかもしれない。
最もそんな年齢まで生きているのかさえ、随分と先の長い話に思えるだろう。
しかし、中高年のこみちが言えるのは、40代を過ぎると確実に無理はできないし、準備が周到でないと大抵のことはうまくいかない。
若い頃のように勢いでは何も解決できないので、セオリーや手段にどうしても目が向いてしまう。
その一つが年金の話だろう。
年金は、国民年金というどんな人でも入ることができるタイプと、会社員のような雇われることで入れる厚生年金のようなタイプとがある。
こみちも年金には詳しくないが、少なくとも国民年金だけを掛け続けたとしても、若い世代の人が老いた頃、受け取れる金額だけで暮らすのは難しいだろう。
しかし、それでも月額にして数万円から10万円くらいになるなら、無いより有る方が良いに決まっている。
つまり、年金をしっかりと掛けることで、老いて動けなくなった時をカバーする方がいいだろう。
そう思うと、稼げるかどうかとは別の意味で、年金を支払うためにもその掛け金を稼ぐことが重要になる。
一見すると、平凡な人生を送っている大人たちも、実は「自由」を手に入れたいからこそ頑張っているのかもしれない。
彼らが目指しているのは、体力気力ともに落ちてくる60代以降。
それまでは社会に求められるままに頑張っているのだろう。
キャンピングカーを使って手に入れる「自由」の形
キャンピングカーに限らず、車旅を通じて叶える「自由」とはなんだろう。
以前なら、ありきたりに「日本一周」を考えたけれど、今はもっとニッチに攻めた方がいい。
その時、例えば「道の駅」みたいなシンボル的な目印が思い浮かぶが、停車した場所と建物以外に象徴的な演出が難しく、どこの道の駅でも同じような絵面になりがちだ。
しっかりとその違いを伝えることができるなら、「道の駅マイスター」でも名乗ればいい。
夢を叶えるために
例えば近所にある道の駅を訪れて、「伝える」を意識して眺めてみるといい。
少なくとも、その道の駅を見たいと思った人が、欲しくなりそうな情報とは何かを考えて、それを含めた情報を収集したい。
例えば、夜間時の様子やトイレなどの使用。雨天時のアクセスなど、日中だけでは分からない情報がまだまだたくさんある。
それをどこまで丁寧に取材できるかで、反響にも違いが出てくるだろう。
見えないニーズを探すことができれば、それは仕事になり得るだろうし、望んでいる「自由」を掴むことができるかもしれない。