「YouTuber」を本業にして良いのか?

 あるバイク系YouTuberの動画コンテンツから

YouTube チャンネルを運営するなら、「知名度」を有効に活用するべきだ。

その一つが、今では当たり前となった「コラボ」だろう。

コラボ企画をすることで、それだけ多くの視聴者の目に止まり、コンテンツを見て貰えるだけでなく、登録者になってくれるかもしれない。

また、「知名度」という意味では、「ホンダ、CBR1000RR」という車体名称を掲げることで、その車種に興味関心ある視聴者が見てくれる可能性が増す。

その意味では、国内メーカーや海外メーカーの試乗レビューというのは、メーカーの知名度と車体の知名度を上手に取り入れたコンテンツが見込め、まだ開設し十分な登録者がいないチャンネルほど効果は大きいだろう。

ツーリングレポートやおすすめのランチスポットなど、「バイク」から連想しそうなコンテンツは豊富にあるから、その意味では個人がチャンネルを開設して、YouTuberとして活躍し、それなりの収益を得られる可能性は高い。

大手企業勤務の安定感や将来性との比較は悩むところだが、仮にまだ社会人として十分な役職を持たない段階で、YouTuber としての実績が見込めると、それこそ「脱サラ」に舵を切りたくなるのも分かる。

YouTuber を本業にするデメリット

これは、全てのジャンルでのデメリットではない。

なぜなら、素材を魅力的に見せる技術は、YouTube でも問われていて、それに応えようと動画制作を続ければ、それだけプレゼン能力がアップするからだ。

一方で、YouTuber を本業にするということは、サラリーマンや個人事業主という形になること。

特に個人事業主の場合、健康管理で働けなくなるリスクには注意したい。

例えば、バイク系チャンネルを運営していて、レビュー中に転倒し事故で身体に麻痺が残ってしまうことは完全に否定できない。

プロのバイクレーサーでも、一般道での事故を回避するのは難しいという。

車とは異なり、身体がむき出しのバイクだけに、撮影中の注意喚起は怠るべきではない。

例えば、月の収益が500万円。

そんな金額が毎月続いたら、もうサラリーマンよりYouTuber 一本でも良いのではないか。

その理由は、サラリーマンとしての月収とYouTuber としての収益を比べるからだろう。

また、気になるのは、運営するカテゴリーの汎用性だろう。

例えば、バイク系チャンネルを20代後半で運営し始めて、35歳でYouTuber として本業にし、その後40代を迎える頃に、事故を含む個人的な事情が発生したら動画制作を継続できないだろう。

仮にバイク保険に加入していても、自身を含む同乗者や事故の相手側に対する保険は使えても、その後の生活費をずっと補填してくれるとは限らない。

それ以前にYouTube での収益化条件が変更されれば、それだけでも稼げる金額は大きく変化する。

ポイントは、変化した時に別の手段を思いつき動けること。

そのためには、健康管理が不可欠で、肉体的に精神的にも充実していなければ、YouTuber のような形で長く続けることは難しいだろう。

というのも、最近のYouTube 動画は、かなり似通ったコンテンツが増えてきた。

バイク系チャンネルのレビュー動画も複数名が同じネタを扱っていて、生き残れるチャンネルと淘汰されてしまうチャンネルが出てくる。

最近では、登録者数の多い少ないとコンテンツの魅力は必ずしもリンクしないから、長く運営しているチャンネルでも急に視聴回数が伸び悩むことは起こり得る。

目安は生涯年収以上を稼いだ時!?

生涯年収の平均額を超えるなら、目安は3億円くらいだろう。

もちろん、年齢によってはそれ以下でも十分に踏ん切りがつく筈だ。

とは言え、何かあっても再起できる金額くらいは残したいし、YouTube で稼げなくなってからも家賃収入など、他の安定した収入源を確保しておきたい。

そんな風に安定を求めるのには理由がある。

こみちは介護スタッフとして働いていて、様々な社会的立場の人を介護施設で世話している。

そして、彼らの幸せを考えると、お金があることだけでは施設での幸せは買えないことに気付かされる。

地域にある平均的な介護施設よりも、高級な介護施設の方が幸せに過ごせるという保障はない。

何よりも利用者同士、利用者とスタッフの関係、施設の方針や運営スタイルなどが複合的に絡み合って、入居者の心地よさになっていくからだ。

そして、とても現実的な話を持ち出すなら、今のご時世で月額15万円くらいを介護費用に用意できないと施設にも入れない。

するとどんな老後が待っているかというと、買い物やゴミ捨て、部屋の掃除や洗濯までも老いた身体で行うしかない。

そうならないためには、健康保険の保険料や年金の支払い、さらに生涯現役で働ける健康が求められる。

特に、年金に障害基礎年金の受給資格も含まれているから、支払っていない人は事故などで不自由になっても公的な支援が受けられない。

年金は単なる老後の生活費ではないから、その点も注意しておきたいところだろう。

話を戻すと、月収500万円の収益の中から、純利益が100万円として、生涯年収の目安3億円を稼ぐまでに約25年掛かることになる。

大卒で定年まで保障された人生を送って、3億円を定年までの40年で稼ぐのと比べて、案外と変わらなかったりする。

つまり、純利益を200万円、300万円といかに増やすことができるかがポイントで、月の収益が500万円でも、大卒である程度の企業に入る人生と比較すれば、そう高配当ではないことも知っておこう。

最近では複数名の撮影スタッフを抱えることも多いから、それだけ撮影コストが膨らみ、純粋な儲けは減ってしまう。

初期投資額と回収率とを比較して、今後もYouTube 一択なのかはしっかりと検討するべきかもしれない。

お金よりも時間!?

常々思うのは、「時間」ほど価値あるものはない。

つまり、10年間を費やしてトントンという選択肢は、本人が満足していなければかなりの損失になってくる。

中高年になって、この1日はとても価値ある時間だったと思える時間を過ごせるのは稀で、大半はいつもと変わらない一日で終わる。

それはつまりトントンで、単に1日分老けただけなのだ。

人生の中身で、人はそんなに価値ある時間を過ごしてはいないから、結局は仕事をして稼ぐことや、誰かのために何かすることで、時間を価値あるものにしているのだろう。

人生の目的や目標という意味では、多くの事柄は必須ではないから、本当に必要とされることで生きられたら、それは老後になって生まれた意味をして思えるのかもしれない。

介護施設で暮らす利用者の多くは、みんなと同じ日常生活を送りながら、まだ知らない自分の最期の時を充実した思いで迎えることを目指している。

素晴らしい人生の最期を、家族やスタッフの笑顔に囲まれて旅立つことができたら、それは人間として生まれて最高の幸せではないだろうか。

案外、高額な物では、そんな幸福感は得られない。

何が大切で、何から捨てられるかと考えると、人生の意味は年齢と共に変化し、安定した立場を求める中高年が多いのも、それだけ若い頃から気持ちが変化したからだろう。

案外、普通で人並みが大切で、それ以外は年齢と共に急速に意味を失ったりしてしまう。


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