ある10代のYouTuber が…
ある十代の高校生YouTuber が一本の動画を掲載すると、推定で1万円から8万円程度を稼いでいる。
企画、撮影、編集と見えない作業も多いけれど、一般的な高校生がアルバイトで稼ぐ金額とは比較にならない。
例えばこみちがまだ十代で、そんなにも稼ぐ手段を手にれたとしたら、進学も目指さないだろうし、わざわざ社会人になって苦労をしたいとも思わないだろう。
中高年のこみちにとって、十代の人は子どもたちの年齢よりもまだ若いし、その内に孫世代にもなる。
親の立場で考えると、YouTuber のままで大丈夫なのかと感じるかもしれない。
では社会に出て何が違うのかとなった時に、職種の違いよりも、雇用形態の違いが浮かぶ。
指示を受けて働くアルバイト的な感覚から、正社員になれば何らかの役割が与えられ、それを遂行するために必要なことを先回りして解決しなければいけない。
時には自分に非がなくても、謝罪させられることもあって、若い世代ならそれも精神的に負担だったりするだろう。
ある意味、社会人として働くというのは、「正しいから正解」という考え方が当てはまらないことを学ぶためにある。
まだ若い年代なら健康であることは当たり前で、でも中高年になると目や耳が衰え、さらに体力や気力も若い頃とは格段に低下する。
イメージするなら、一日中10キロの荷物を背負わされているようなものだ。
「疲れるからやめておこう」
気持ちが強くないと、全てのことが面倒で、待たされることに耐えられず、早合点して行動してしまう。
若い年代から見ると、高齢者はヨタヨタして見えるかもしれないが、本人だってしたくてしているのではなく、段々そうなってしまうのが「老い」なのだ。
話を十代のYouTuber に戻すと、その稼ぐ秘訣が30代、40代を過ぎても継続できるのかがポイントで、ある意味で若い年代特有の魅力にあるとしたら、自身が中高年になって若い年代の人が活躍し始めた時にどう生きるのかが問われてくる。
例えば、大学に行かなくても、好きなことや興味あることを仕事にできるだろう。
しかしポイントは、「仕事として確立させること」ではないだろうか。
こみちもいろいろアルバイトを学生の頃にして、簡単な料理を作るのも抵抗がない。
それは介護士になった今も間接的に活かされているけれど、普通の人はアルバイトで経験したことを退職後に活かせる場面など滅多に無いはずだ。
つまり、アルバイトを何個経験しても、作業を覚えるばかりで仕事としては身につかない。
そこに大きな問題が隠れていて、アルバイトでもしっかり「仕事」として身につくところまで踏み込めれば、それは後々になって役立つスキルに変わる。
じゃあ、YouTuber はどうか。
こみちとしては、エンターテイメントとして成立させるまでいければ、有望なスキルになると思う。
誰かに必要とされる人にされれば、そこからビジネスは生まれるし、仕事として生きる糧として育てることができる。
大人になって、仕事として確立したものがないと、いつまでも納得できないことをしなければ稼げない人になってしまう。
自由に生きたいと思うなら、自由を求めるよりも、人に頼らない生き方を手に入れるべきだ。
誰かを当てにして、誰かに助けられないと生きられない人は、自由を求めても与えられないと手に入れられない。
つまり、何かのタイミングで奪われてしまうし、相手のさじ加減で自身の自由は無くなってしまう。
「逆ギレ」という言葉があるが、自身で掴みとった自由なら、誰かからも奪われはしない。
でも、与えられたことを忘れた人は、失った時に奪われたと勘違いする。
つまり、YouTube で稼がせてもらうのか、自身で稼ぎに行っているのかの違いが見えてくれば、きっとその環境を一時的に失っても、自身で再生しまた仕事にできるはずだ。
結局のところ、どんな方法でも、自身で掴み取れたものはずっと使えて、誰から与えられたものはいつか失ってしまう。