人生50年ってことは?

 今、20代の人は…

こみちが10代の頃、初めて原付免許を取って、自分の原チャリができて、それを乗り回して、少し大人になったと思えた。

車の免許を取った時もそう。東京の学校に行く時に飛行機を使っていた時も、「大人になる」を感じられた。

20代になって、フェリーで帰郷し、その頃に乗っていた400のバイクも乗せて、生まれた街を走った時にも、何だか自分が少し大きくなれたと思えた。

そんな経験は社会人になって都内で働き始めてからも続く。地下鉄を躊躇うことなく乗り継ぎ、それだけで田舎暮らしをしていた頃よりもずっと大人になったと思っていた。

大人になるってどういうこと?

好きな人に優しくできるのは、割と思春期の時にもできる。

大人が大人として好きな人を大切にするって、案外、間接的なことが多い。

例えば、安定した仕事を持って、それが将来の計画にも繋がって、だからこそ家を買ったり、車を買うことができる。

ちょっとした運で、数万円の臨時収入が入ることはあっても、100万円単位の買い物は安定した仕事がないと叶えられない。

誰かのことを大切にしたくても、仕事がなければ、どこかで不安にさせてしまう。

自分の夢ばかり気にしていたら、好き人を守ることはできないだろう。

そう気づいた時に、カッコいい職業に就くことよりも、二人の将来を描ける仕事を手に入れることの方がずっと大切だ。

10代の頃は、とにかく好きな人との時間が欲しかった。

20代になって互いに忙しくなれば、会えた時間を大切にした。

30代になると、二人が全力で守るべきモノができて、自身の夢よりも二人の未来が大切になった。

そんな風にして毎年、歳を重ねてきた。

50代になって、大人になるって何だろうと改めて考える。

そして導き出した答えは、これまでに撒いてきた種を育てて、実をつけたり、花が咲いたりしたのを二人で眺めることだ。

若い頃に何もしていないと、たくさんの種を撒くことはできない。

どんなタネを撒くのかも重要だろう。

きっと70代になる頃には、管理やメンテナンスが大変なタネは手に負えなくなる。

そうやって自分たちが大切にしたモノだけを、老後に残すのだろう。

案外、豪華な装備のキャンピングカーでなくても、気ままに旅した記憶は老後にも残しておける。

一回もしていないことは、憧れのままで記憶にも残らない。

小難しい理屈を考えることが大人ではなく、それはまだまだ人生を始めた頃の若い時代。

つまり、大人になるっていうのは、自身が手に入れたものを手放すこと。

こみちが介護施設で働いているからもあるけれど、高齢者になると家族をも手放す時が来る。

そして、友人もいない施設で、毎日を穏やかに暮らす。

自宅にいた頃の趣味も手放し、3度の食事とおやつだけが新たな楽しみで、時々はぼんやりと自身の過去を思い出す。

昔のことを繰り返し話してくれるのは、だんだんと記憶も薄れて、残された思い出だけが口から出てくる。

いつか、こみちもどこかの施設で、今のことを思い出すだろうか。

そうやって、老いて行くのだろう。

だから、若い頃は人に迷惑をかけないように、でも自分が思うように生きた方がいい。

いつか老いて、それが生きた証になるはずだ。

これからは、辛いことよりも、楽しいことをたくさんしたい。

なぜって、人生において中高年とは、楽しいを噛み締める時期だから。

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