令和時代を象徴するのは?
都内のコロナ感染者が、毎日5000人ペースで増加している。
都民が1200万人だとすれば、単純計算で八年後には全ての人が「陽性者」になってしまう。
ただ実際、50%を超える頃にはコロナを排除するのではなく、共存を模索するようになるだろうから、社会の仕組みも「リモート」のような環境が今後は続くことになる。
人と人が気軽に接触することはなくなり、「直で会う」ということが今以上に特別なものとなって、人はネットなどを介した環境で成長するようになる。
昨今、学校の授業リモートが増え、大学に至ってはほとんど投稿することもなく学生生活を過ごす人もいる。
東京に住んで、東京の大学に通う。
そのために、大学近くの場所に住まいを見つけて、初めての一人暮らしをする人もいた。
実家にいる時とは異なり、住まいそのものがすべて居心地のいい空間にできるから、ある意味でその後の生き方さえも決まってしまう体験になる。
こみちの場合も上京して一人暮らしを始めて、学校帰りにスーパーで食材を選ぶのが好きだった。
田舎にいた頃から、料理をするのも苦ではなかったし、まぁ食べたいと思うものなら作れるくらいにはなっていた。
都内は田舎町と異なり、少し散策するといろんな店が見つかる。
髪を切る時はあの美容室。少し奮発できる時はあの寿司屋と焼肉屋が美味しい。
そんな風にして、少しずつ自分らしい生き方が作られていく。
こみちは学生時代に車を持っていなかったが、クラスメートの中には親に買ってもらったという学生もいて、何かと車を出してくれた。
上京して初めて横浜まで下道で行ったのも、クラスメートの運転だった。
二年生か三年生くらいの時にこみちもアルバイトで貯めたお金でバイクを買った。
学校にもバイクで通う時があったり、駐輪場に停めていると、知らない学生から話しかけられることもあった。
今の時代ならSNSをつかえば、同じ趣味を持つ人を簡単に探せる。
しかし、当時は学生と社会人が簡単に交流できる機会は少ないから、学校の友人を介して紹介された他校生との出会いも貴重だった。
バイクに乗り始めて、いろんな輪に参加できた。
SR乗りの奴やオフ車命の奴、そして可愛い女子学生とも知り合えた。
これがもしも、こみちが生まれ育った田舎町の学校だったら、バイク乗り同士の交流はあったとしても、江ノ島や房総、日光や奥秩父、鎌倉に箱根といった地名は出て来ない。
以前このブログの記事に書いたかもしれないが、こみちは「成城」を知らなかった。
知り合った人が成城育ちで、「成城なんですよ」と挨拶した時、「そうなんですね」としか返せずに、その後に親しくなって当時はびっくりしたし、逆に信用できたとも言ってもらえた。
こみちが絵を趣味にしていることを教えたら、その人の父親がプロの画家で、母親もプロのピアニスト、兄弟は陶芸家という家柄で、こみちが知らなかった世界を面白がって見せてくれた。
あの頃、何か特別な経験をしたいなら東京で学生時代を過ごすべきだと思っていたし、実は第一志望の学校に入れなかったから頓挫したが、こみちは第一志望に合格できていたら勢いに任せてアメリカやオーストラリアに留学したいと思っていた。
当時からサラリーマンになるつもりはなく、どんな風に楽しく生きていけるかだけを考えているような能天気な学生だった。
YouTube などを観ていると、それを実現させた人を見つけられる。
でもあの頃のこみちとは違って、とても野心家で器用な人が多い。
時代が違うけれど、あの時代にYouTube があったなら、同じような挑戦をしていたかもしれない。
「自分らしく生きること」
自分らしく生きることが特別ではなくなった。
誰もが進学し、いい会社に入ることが唯一のゴールと考える時代は終わっただろう。
もちろん、今でもそのルートは残っているし、そのルートに進む人もいるだろう。
しかし、そんな彼らだってどこかで方向転換をして、自分らしい生き方を探し始めないとも限らない。
人はそもそも平等では無いし、置かれた環境も違う。
だからといって、妙に背伸びして偽る時代ではない。
むしろ、等身大になることで、共感を生み交流が始まる。
そのことに気づけば、自身の生き方も見えてくるだろう。
そして、最低限の条件さえ満たせれば、昔以上に簡単に「自分らしさ」を始めることができるのだから、気軽に話掛けるつもりで一歩を踏み出してみよう。