「二流」が「準一流」になっても「一流」にはなれない理由

 そもそも「一流」とは何か?

一般人が、どんなに時間を費やしても超えることができない「領域」に到達した人を「一流」と呼ぶ。

つまり、ひっくり返っても一般人は「一流」にはなれない。

では一般人が努力して到達できるのはどこなんだろう。

それがきっと「二流」ではないかと思う。

ここでいう「二流」とは、方法や手順を理解すれば、多くの人が到達できるはずの領域。

つまり、自身の職業を料理人とか、デザイナーとか、歌手とか言えるようになれば、「二流」になれたとも言える。

そこに到達していない人を、ここでは「自称」と呼ぶことにしよう。

こみちは、自称「絵描き」で、自称「介護士」である。

「自称」が「二流」になれる条件は、他人からの評価が得られた時だ。

例えば、専門学校で学ぶことや、他人から評価されたことなどが加わって、「二流」へとステップアップできる。

「一流」は常に当たり前だと感じている!?

面白いもので、「一流」の人は意外なほどに「普通の考え方」をしている。

つまり、ロジカルな思考ではない。

むしろ「二流」と呼ばれる人が、さらに高見を目指した時に到達する「準一流」の領域こそロジカルな思考と強く結びつく。

「これは〇〇な理由からだ」

そんな風に分析し、誰もが納得できる答えを導き出せるのも、「二流」を経験した過去を持つからだ。

もしも一流の人に訊ねたなら、「〇〇かと思った」というだろう。

その答えはとても平凡で、一般人にとっては当たり前過ぎる。

そして、それだけではできなかったことを一般人も分かっている。

だからこそ、「でもコツとかあるでしょう?」と一流の人に食い下がるのだろう。

しかし、真顔で「だから言っただろう。〇〇しているだけなんだ」と。

一流の人にはできても、一般人にはできない。

そこが大きな差であり、一般人が一流にはなれない理由でもある。

だからこそ、一流の人がいう話ではなく、準一流となった努力家から意見をもらう方がいい。

一般人が苦労するポイントも知っているし、どうにもできないという経験にも共感してくれるからだ。

一流のトップアスリートよりも二流のアスリートが指導者に向いている!?

人材育成の分野では、伸び悩む選手をサポートするのも指導者の役割だ。

いきなり言われて、できてしまう一流選手は、できないことで悩むことはない。

あるとするなら「超一流」と呼ばれる人を知り、できることではなく、その完成度の違いに思い悩む。

同じようにしているのに、あと少し伸びきれない部分があって、そこに完成度の差を感じる。

中には無理を強いて、矯正したいと思う一流もいるが、高見を見ようとしたことで自信を失って表舞台から遠のいてしまうこともある。

ところが二流を経験した人は一流の凄を自己解釈して、その境地は分からないものの、存在は理解している。

そんな二流経験者は、指導者に向いている。

そして、一流な人ほど、一般人の悩みが理解できない、

なぜなら、一流の人は一般人のように悩むことなく、簡単にできてしまうからだ。

むしろ、一流の人は、「悩み」を学ぶことから始めるしかない。


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