漠然と分かっているつもりだったけど
こみちは現役の介護士です。
自宅での生活が困難になった高齢者の暮らしを支えるのが仕事です。
その中で、「自分らしく」と言う言葉の実現がどれほど大変なのかを日々感じています。
もう少し掘り下げれば、支援する人が考えた理想が、時に高齢者にとってはストレスだったりします。
その原因となる大きなポイントは2つあって、そもそも「高齢者」を理解していない、最善を尽くすことが解決策だ、と思い込んでしまうからでしょう。
「高齢者」を理解するには、「加齢」について関心を持たなくてはいけません。
「加齢」を知るには、「人間」そのものを理解知ることも必要です。
介護士は、「高齢者」の医療的な面、社会的な面、法律的な面など、深くはありませんがさまざまな視点から学ぶことで、総合的な理解を知ります。
また、親切をするにも、時間や体力など、活字で示すだけでは補えない「行動」が問われます。
つまり、一人の人間ができるのは「1つ」だけで、複数のことを同時に行うには「仲間」や「協力者」が不可欠です。
同時に、考えや目的を詳細なレベルで理解し合うには、バックボーンとなる知識や経験がなければ難しいでしょう。
より多くの人から気軽に支援の手を差し伸べてもらうにも、それに応じた「システム」や「組織作り」が不可欠なのだと感じるはずです。
そこまでが前段階で、本題は「村おこしとは何か?」が気になったのです。
きっかけは、キャンピングカーの役割でしたが、例えば全国各地を巡る旅に何か目的を見つけることができるのかと思っていました。
そして、YouTube などで収益化し、ビジネスへと展開すれば、脱サラも夢ではないし、自由気ままな生活が手に入るのではないかと…。
まぁ、そんな夢のような話は、きっと5年前くらいに終わっていて、その頃から始めた人たちがYouTube での先駆者となって、実際に活躍されているのではないかと推測しています。
というのも、YouTube を巡っていれば、コンテンツの種類や手法には一定の規則があって、それは今にして「パターン」となっていますが、当時は工夫を凝らして生み出したクリエイティブな作業だったはずです。
似たような内容を扱うコンテンツが増え続けることで、「YouTube って何だ?」と逆に疑問を感じました。
そして「村おこし」へと思いが展開されたのです。
山奥にある小さなな村落を、若者たちが憧れる都会に再生させたい人がいるでしょうか。
通信技術の進歩を見越して、ITに特化した集落を目指すべきでしょうか。
例えば、「天才」と呼ばれる人は、どこにいてもそのポテンシャルを発揮するでしょう。
それだけ強烈な才能に溢れているからです。
一方で、「秀才」と呼ばれる人、つまり何らかの学習を元に、また同じようなタイプの人と繋がることで能力を発揮できる人は、絶えずインプットしなければいけません。
そうしないと能力が失速し、やがては時代錯誤な知識で、周囲に追いつけなくなってしまうからです。
例えば、地方で育った高校生が、都会にある大学に進学すると、専攻した学部以外に、都会生活やライフスタイルの多様性を身につけるでしょう。
同じような学部だったとしても、それがニューヨークなのか、ロンドンなのか、東京だったとしても、きっと田舎暮らしのままでは感じなかった「必要性」に出会うはずです。
もしも、もっと若い時代、例えば中学生の頃なら、個人の行動範囲も異なるでしょうし、きっと生き方と言うところまで深く考えることは少ないでしょう。
将来の漠然とした夢や、憧れの職業を見つけるだけでもなかなか難しく、その仕事がどれだけ社会的に大きな力を持っていて、実は業界が抱える課題や問題点にまで気づいている子どもは珍しい存在です。
そう考えると、子育てを終えた世代になり、これまで暮らして来た土地で余生を送りたいと思う高齢者にとって、「村おこし」の目的とは何でしょうか。
ロケーションの良さを評価され、別荘地として開拓が進み、豊かな自然が切り崩されていくとしたら…。
例えば、自然の中にそびえる近未来的な意匠をまとったデザイナーズマンションが、都心部の若いファミリー層に魅力的に映ったとしても。
人口増による地方税が増収されるとしても、それまでの長閑な暮らしを失ってしまうのでは本末転倒です。
確かにそこを乗り越えることで、経済は動き出しますし、活気にも繋がります。
言い換えれば、それまでの暮らしを残そうとすればするだけ、結局は思ったほどの成果が見られない村おこしになってしまうでしょう。
結局、「村おこし」をどう具体的にイメージできるかで、その試みはある程度成功するか否か判断できます。
例えば、都市部での収益を田舎に再分配することでも、村落の暮らしは豊かなります。
何も自然を壊すことが村おこしでもありません。
少子化が進む中で、極端に人口増を目指すのはとても10年くらいで達成できるプロジェクトではありません。
都市部のように密集することで、ビジネスが効率化したことを考えると、リモートワークで地方移住が進んだ時に、どれほど運搬コストや人件費が増加するのでしょう。
場合によっては、サービスそのものが採算に合わないことも出てきます。
また、都市部でしか見られないサービスを真似た地方独自のサービスが誕生する可能性も否定できません。
ただ、多くの人は、人と出会うことで成長します。
特に子ども時代はそれが顕著です。
そうなれば、いかに学習機会を増やした環境が作れるのかは、これからを背負う子どもたちにとって欠かせないでしょう。
それはリモートによる制限された交流で十分なのか、それともそこには収まりきらない多種多様な出会いや取り組みが必要なのかが問われます。
中高年のこみちがまだ地方で暮らしていた高校生時代、都市部で行われていた受験対策とはレベルが違っていたでしょう。
今でそこ、インターネットを使えば、国内のどこにいても同じような学習機会を得られるとは思いますが、まだまだ地域差はあるはずです。
そんなことを考えていたら、昔観た映画「イージライダー」で、田舎に根を下ろし暮らすファミリーに「あなたたちは凄い」と言うようなセリフがあるのを思い出しました。
その町で暮らすことは、地域に溶け込み、いろんなしがらみもありながら、それでも時間を掛けて共存することで、都会生活や放浪者には真似できないことです。
改めて「村おこし」って何でしょか。
人々の暮らしやキャンピングカーと関連した、こみちがちょっと気になった言葉でした。