「生きる」を考える

 なぜ、生きるのだろうか?

少なくとも、自分自身に向上心と未完成さを感じているなら、「生きる」を続ける意味はあるはずです。

なぜなら、こみち自身は高齢者支援を行う介護士として働いていますが、そこで耳にするのは活躍していた若かりし頃を話す時に高齢者は懐かしそうに嬉しそうに話してくれるからです。

人生いろんなことがあっても、歳を重ねて老いを感じる年代になると、それらは生きた証となってその後の「大切なもの」となるのでしょう。

その1つが、恋であり、結婚であり、子育てではないかと思います。

もちろん、恋も結婚も、子育ても人生の必須条件ではありません。

様々な形があって良いと思いますし、だから自分の人生と言えるでしょう。

ただ、これらは、様々な形で「生きる」意味を与えてくれます。

特に子育てをし始めれば、自分のことよりも子どものことを先に考えるようになるのではないでしょうか。

自分自身としての「生きる」目的が見つからない時でも、子どもの「生きる」を考えれば、あれやこれとしてあげたいことが見つかります。

生物学的には、子孫を残すという理由が生きる目的を与えてくれます。

しかし、人間の場合は、必ずしも生物学的に生きているわけではありませんから、自分の夢や希望を叶えるために与えられた時間を使っても不思議ではありません。

逆を言えば、「生きる」目的や理由が分からない人ほど、誰かと恋をしたり、結婚し新たな家庭を築いたり、子育てに奮闘することで「生きる」を見つけられるのでしょう。

仕事ばかり頑張って来て、振り返ればあまり恋愛もせずに、まして結婚もしていない人が、「生きていて何が楽しいのかなぁ?」と思ったとしたら、恋、結婚、子育てなどに興味や関心を持ってみても良いのかもしれません。

「生きる」は楽しい?辛い?

こみち自身は、「生きる」の3割くらいが楽しくて、残りは辛いと感じます。

ついこの前までは1割くらいしか楽しくありませんでした。

冒頭でも紹介しましたが、こみちは介護士として働いています。

介護士という職業の社会的な役割はまだまだ十分認知されているとは思いません。

しかし、その一方で認知されるに十分な意識改革ができているとも思いません。

他人を理解するには、まだ知識も技術も不足していますし、何より分からないことが多すぎてとても全てを理解することなどできないでしょう。

なぜ「生きる」のかについても同様で、ある事実を知った時にそれまでの見方や感じ方が一変してしまうことなどよくある話だからです。

相手の気持ちなど表面的には分かったつもりでも、本当のところは理解できていませんし、何かによって変化したことにも気づかないままで評価を続けてしまうこともあります。

だからこそ、自分の気持ちや感情を自分で整理し、それを伝えられるようにすることが必要です。

何も心の内全てを公開しなくても構いません。

「今はそっとしておいて欲しい」とひと言発してくれるだけで、少し距離を取って時間を空けることができます。

何も言わないことで、その気持ちが気になり、人はますます近づいて来て、気持ちに入り込もうとします。

煩わしいと感じるなら、余計に相手の心理を理解し、今の気持ちを察してもらえるように心がけることです。

何も言わなくても敏感に感じ取れる人もいれば、ズケズケと気持ちに踏み込んできても、ほとんど感じとってくれない人もいます。

そんな時には「時間欲しい」「しばらく一人にして欲しい」と項目を伝えましょう。


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