昔、同僚から「こみちって旅人みたい」って言われたなぁ〜
ある意味、空想して言葉を紡ぎ、感動してそれを絵に書き残すことができたら、きっとこみちがこの世に生まれた目的は達せられたと思う。
でもそんな時間は、とても特殊な時であり、もはや一般的な生活とは相まみれることさえない。
誰だったのかは忘れたけれど、「小説家にならなくて生きられるなら、別の仕事をした方がいい」と言った作家がいた。
物語を作ると言うことは、その波動を一度自分の身体に取り込まなければいけない。
それってとても苦しいし、誰にでもできることではない。
時には開けていけない扉を開き、そこに現れた世界の大きさに戸惑い、押し潰されそうになることだってあるだろう。
少なくともこみちはそんな世界に気づき、怯えながら生きて来た。
だからこそ、本心やホンネを明かさないことで、その世界に繋がらないようにして来たとも言える。
欲しいのは「真っ直ぐな心」
このブログは、キャンピングカーに関連した話を書く場所。
でも本音は「真っ直ぐな心」さえあれば、何もいらないと思っている。
旅をしている間は、ずっと頭をグルグルと回転させて、無駄なことも含めていろいろと考えたい。
だから、どこに泊まるとか、何を食べるとか、目の前に見える景色さえ、いわばインスピレーションのきっかけに過ぎない。
そこにある世界は、とてもシンプルで無色透明だ。
しかし、一方で深くてとても広い。
かつて一度、その入りで足を掬われて、溺れそうになったことがある。
だからこそ、近づいてはいけない場所。
まだ行くには早い場所。
そんな風に思い、あの頃から近づかないようにしながら生きて来た。
旅に出たい。出てみたい。
実際にこの瞬間も、全国のどこかで自分探しをしながら旅する人がいるのだろう。
その勇気と希望に多くの幸があることを願っている。
見慣れた日常も、ふと旅に出れば一変する。
そして、避けて来たはずなのに、その入り口が目の前に近づいて来た。
視線を合わせてはいけない。
できるだけ俯いまま、横を通り過ぎようとしている。
風が吹く。通行人が前を横切る。
ハッとして顔を上げ、ふと入り口に目を向ける。
強い葛藤が起きる。足を前に出す。
立ち止まってしまうと、考え込んでしまいそうだ。
「旅に行きたい」そんな膨れ上がる感情を押さえ込み、日常へと歩き出す。
沖に流されるみたいに、一歩でも踏み込めば溺れるでは済まないことになるだろう。
踏み入れるにはまだ早い。
まだ日常の中でやり残したことがあるはずだ。
旅を終えられる時はくるのか。
もうここに戻って来れなくなる気がして、誘うように開いた「入り口」から遠退くように歩き続ける。