「日本一周」に惑わされる旅の本質
コロナ禍で移動することもままならず、旅行に行くこともどこか心苦しい時期です。
だからこそ、「やはり旅に出たい!」「旅行に行きたい」と言う悶々とした気持ちは募ります。
そして、例えば「日本一周」のような言葉を掲げた旅行に何か自分なりの価値を見出そうとしてしまいます。
しかしながら、まだ二十代の頃に行き当たりばったりで行った日本各地を巡る旅は、中高年になった今でも貴重な思い出ではありますが、そこに何か大きな価値を見出せたと言う感覚はありません。
と言うのも、旅は始めて三日も経つ頃には、旅人が日常となり、各地を巡ることさえ当たり前になるからです。
「成り金」と言う言葉を知っているだろうか?
成り金とは、一代で富を得た人を少しからかった意味にも使われます。
しかし、本来の意味としては、将棋のコマの中で最も低位である「歩」が、一歩ずつ敵陣に進み、「成り金」として新たな活躍を見出す過程を示します。
事実、「歩」と言うコマは、横にも斜めにも後ろにも進めません。
許されていのは、前に一歩進むことだけで、そんな「歩」が敵陣にまで到達するのですから、実社会で考えれば寡黙に努力を続けた結果、晩年に功績が認められたと言う生き方と言えるでしょう。
それでも、「低位」ということと「出世」を合わせて「成り金」と言う言葉は、揶揄されるようになったのでしょう。
少し前の話ですが、将棋界のスター「藤井聡太」さんが高校を自主退学したと言うニュースで、政治家だった田中角栄さんの言葉が紹介されていました。
その言葉は、学生だった人が勉強を疎かにしていたことで、「学歴」の大切さを諭したものだったそうですが、実社会での実力や富、だけでは覆すことができない「学歴の壁」を伝えたかったのでしょう。
こみちも、何より学べると言う環境は人生を豊かにすると思っています。
社会の一員として役割を持ち、そこで誰かの役に立つことができる人はとても幸せです。
一見すると、何かのラッキーが重なり、思いもよらない「富」を手に入れる人がいます。
しかしながら、その富によって人生を豊かにできるかは、その人次第でもあります。
なぜなら、「富」は物やサービスを買うことができる「力」に過ぎません。
その財力が有れば、人を雇うこともできますし、会社を作れば「社長」と呼んでもらえるでしょう。
しかしながら、人の心まで「買う」ことはできません。
そこが「お金」の万能ではない正体です。
お金をものを買う力として使えば、数値以上の価値にはなりません。
つまり、使い方やその使う人の知識を増やすこと不可欠になってきます。
そう考えると、「成り金」をからかう意味も理解できるでしょう。
金持ちを演じてしまえば、それは「成り金」です。
高い車や高い家、高額な商品を買い漁るのは、お金が得意としている部分だからです。
しかし、一通り買い占めたら、「こんなものか?」と感じるはずです。
なぜなら、「お金」そのものの力などわずかだからです。
それよりも、「生き甲斐」や「かけがえの無い家族」を得る方がよほど難しく、何よりそれには「時間」を要します。
歴史や文化のように長きに渡って培われるものもまた「時間」を必要とします。
つまり、短期間で手に入れられる「お金」よりも、一代では到達できない「人材育成」のようなことは、より難しいことと言えるでしょう。
実際、お金を残す、名を残す、人を残すと言う具合に、難易度は上がるわけで、1億円の預貯金があるよりも、子育てしたり後輩を育てた人は大切な功績を残したと思っていいはずです。
「旅」って何だろう?
こうして思うと、日常生活とは異なる「旅」の意義とは何でしょうか。
旅だからと言って、気ままに移動し、そこで出会った人や場所を自分なりの感覚で感じ取ったとしても、そこには自己満足こそありますが、あまり有益なものではありません。
実際、こみちが同じようなことをして、たしかにいろんな場所で人に出会い面白い経験や思い出もできましたが、その後の社会で学んだことは旅では得られなかったことばかりでした。
つまり、自分自身が成長できる過程を組み込まないと、旅を永遠と続ければ思い出は増えますが、旅を終えて次に進む時に何か活かせることが少ないように思います。
事実、歳は毎年重ねるので、本当に旅にさいた時間が必要だったのかというと、そこで例えば10年を費やしてしまうのは考えものだと感じます。
なぜなら、もしもこみちが20代の前半に戻れるなら、「旅」をしようとは思いません。
実社会でいろんな挑戦をしたいですし、少なくとも「介護士」ではなく「作業療法士」になって社会貢献したいと思うでしょう。
実際に、資格によって働き方や活かし方は異なります。
しかし、中高年になるとそれだけ時間が無くなり、できなくはないけれど資格取得そのものが目的になってしまう傾向があります。
でも、資格ではなく、その後を求めているので、仕事を変えて例えば「三年間」を費やすハードルはそれなりの覚悟も必要です。
まして、中高年で常勤採用される確約もないとなれば、「成り金」以上に勇気も必要です。
社会で生きることが、これだけ大変だとしたら、「旅」が極楽というはずはありません。
むしろ、気ままで成り立つなら、誰しもが「旅」に出るでしょう。
「旅に出る」とは、その期間で何かを学び、又は準備してきた知識を試すような場かも知れません。
全国の城や温泉、川や滝、目的は様々あるとしても、それらに向かうことに大きな意味を持たせるに値する知識や技術、感性を持っていなければ、「大きな滝だった」という感想で終わってしまいます。
都道府県を回ったことが「日本一周」なら、確かに一周したことになるのでしょうが、それよりももっと有意義な経験や体験をできるために、旅の準備段階から始まっているのでしょう。
徒歩、自転車、キャンピングカーと手段も様々ですが、自分が目指すべきスタイルにとってどれを選ぶことがベストチョイスなのか考えると、誰かと似た旅にはなりませんし、今の生活と同じようなことをしたいとは思いません。
本当に「旅で何をしたいのか?」を考えると、まだまだ知識不足を感じます。
だからこそ、仕事と掛け持ちにして、時々「遠出」くらいが丁度いいのでしょう。
気分転換と日常生活へのモチベーションを取り戻す意味で、今は「旅」を考えています。