ミニマムに暮らすためにマストとなる「お金」の話

 結論を言ってしまえば…

最初に結論を言ってしまえば、月収300万円を超えたらもうミニマムに暮らす環境が整っているでしょう。

ミニマムなのに「300万円?」と思われるかもしれません。

しかしながら、ミニマムでもそうでは無いにしても、生きて行くために「収入」が不可欠です。

それをどう稼げば良いのかは人それぞれですが、ミニマムだけに目を向けてもその暮らしを維持することはできません。

一時的であれば、預貯金を切り崩しながらということも出来ますが、あえて掲げる月収300万円が夢を叶えるための「壁」になるという話です。

月収300万円の根拠

もう月収300万円まで来ると、世間的には限られた職業に就かなければ稼ぐことが困難なレベルでしょう。

とても一般的なアルバイトでは難しいですし、大手企業に就職できたとしてもその金額に到達するのは至難の業です。

しかし、それだけ困難な条件がないと「ミニマムには暮らせないの?」と思われるかもしれません。

地方都市で古民家を再生し、周辺部で農作物を作り家畜を飼うことでミニマムに近い暮らしに近づけるかもしれません。

ただ、そんな暮らしを5年10年と続け、また結婚や子育ても視野に入れるなら、「ミニマム」であっても柔軟な選択肢を選べる資格は失ってはいけません。

最近では、リモートによる学習や情報交換も可能ですが、基礎知識を身につける場合には実体験ほど有益なものはないでしょう。

なぜなら、見ただけの場合、必要なことにか気づきません。

実際に行って始めて分かることが、若い世代ほど多いと感じます。

これが中高年になった人であれば、また最初から誰に学ぶよりも、今の自分で手に届く方法で始めた方がいいでしょう。

それこそ、これまでの実績を一度脇に置いて、頭を下げて初心から学ぶことは簡単ではありません。

ついついこれまでの経歴を聞かれる前から話し出して、全くの「未経験者」ではないアピールをしがちです。

それでは結局、同じ結果しか待っていません。

手段を厳選し、低コストでも始められそうな手段がある場合、もしもすると月収300万円に届かなくても夢が叶う可能性はありそうです。

つまり、継続的に稼ぐことが見込める資質がある人は、その強みを活かすことでミニマムを掴むことはできるでしょう。

しかし、特にこれまで何も意識しないで過ごして来た人は、客観的に月収300万円に値する労働力が求められるという話です。

例えば昭和という時代に比べて、令和はより自由に稼ぐことができる時代です。

しかし、誰でも参入できる一方で、その内情はやりくりが大変というケースも実は増えていくでしょう。

というのも、学校や資格取得で専門性を手に入れても、その分野でプロとなるのはそれだけ競争率としては上がっています。

特に創造性が問われる職業なら、誰でも始めてられて、でも生き残ることが難しく、中高年になる頃には潰しが利かないということもあるほど危険な選択肢です。

つまり月収300万円を超えられないなら、しっかりと基礎を学び、業界に人脈を作りながら、横にも縦にも繋がりを作って、自分のポジションを築き上げることが不可欠です。

中には、本人に特別な才能がなくても、親からの支援でいい仕事が手に入るという恵まれた環境の人もいるでしょう。

そんな人は、自身で300万円を目指さなくても、周囲から与えられるので、より目標に到達できる可能性があります。

しかしながら、与えられた環境も永遠に続くとは限りません。

そこで、維持するためにも、自分自身が成長することは不可欠なのです。

収入には段階がある!?

これはこみち自身が感じた経験の話です。

例えば月収1万円という場合、ちょっとした行動力で稼ぐことができるでしょう。

しかし何もしなければ、それだって到達できないのは言うまでもありません。

さらに、5万円、10万円、20万円、30万円、50万円、そして300万円まで来ると、段々と稼ぐ手法に共通点が現れて来ます。

残念ながら、こみち自身には月収300万円オーバーの経験がないので、ある意味で未知の領域ではありますが、少なくとも稼ぎ方に工夫が無いと到達不可欠なことに違いはないでしょう。

ざっくりと触れるなら、アルバイトでも稼げる金額から、より社会的な流れに乗っていないと到達できないポジションへと段階的に変化します。

それは学歴が問われたように、新卒採用というチャンスや職歴という地道な歩みが「収益」に影響するからです。

例えば、写真そっくりに絵が描けたり、カラオケで満点が取れたとしても、それだけはプロにはなれません。

なぜなら、社会の流れに乗れないからです。

変な話にも聞こえますが、そこでも年齢や容姿、生い立ちなど、生まれ持った才能と環境によって与えられた資質が伴わなければ、望んでいるような「飛躍」には繋がりません。

そう考えると、ミニマムに暮らすには、どこかで社会とのコンタクトが必要で、そこを経てこそ手に入る生き方ともいえます。

最初から自身の生きる範囲を固定して、その範囲で活動するだけでは通常成功は得られません。

しかし稀に、自分でも気づいていない才能があって、独特の方法でもしっかりと夢を手に入れられる人もいますが、それはやはり例外的なケースで、多くは望むような結果が得られないでしょう。

言い方を変えれば、早く段階から稼ぐ方法を見極めることができた人は、無駄なく真っ直ぐに巡り合った仕事に取り組んだはずです。

「これは自分が望んだものではない!」と、早くから取捨選択を自分でしてしまったら、それは見えない可能性を捨ててしまうことでもあります。

というのも、中高年になって思うのですが、成功するパターンにはいくつかの傾向があって、例外的なケースを除けば、その法則に従っていないと難しいように感じるからです。

実際、40代を過ぎて急に月収300万円を超えるには、ハイリスクでも無いと難しいですし、もっと堅実に生きるべきです。

つまり、その年齢まで来たら、強いこだわりがない限り、「ミニマム」という生き方ではなく、世間一般的な暮らしを目指した方が結果的に安泰だと思います。

月収300万円は難しくとも、それに代わる条件を経て、自分らしい暮らしを手に入れたいなら、他者には真似できない魅力を磨き上げることでしょう。

いきなり日に目を見ることはないかもしれませんが、その「種」を撒かない限り、芽も出ないからです。

10代から20代でいろんな種を撒き、それが30代で芽を出して、40代以降に花を咲かせるというのが理想的な流れです。

こみち自身が介護の仕事をしているので、若い年代の方には介護士を勧めるつもりはありませんが、理学療法士や作業療法士のような道を目指すのは良いかと思います。

その資格を得るまでに約3年という時間と学費で数百万が必要にはなりますが、長く継続的に稼ぐことができる資格ですし、今後もニーズが見込めることを考えても特になりたい職業が見つからないなら検討するだけに価値はあるはずです。

もしもこみちがまだ30歳なら、思い切って資格取得を目指したかもしれません。

でも、40代も後半になると、資格投資に費やすコストと時間を回収できる見込みが少なく、これまで通り介護士を続ける方が無難だと感じます。

いろんな時間帯で働く介護士には、とてもミニマムな暮らしは難しい生き方です。

だからといって、介護士を手放してしまうと、今度は稼ぐ手段がさらに限られてしまいます。

生活できるからこそ、夢を考えたり、将来を見据えたりできると思うのです。



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