「建築」という世界に浸ってみる!?

 「建築」と「介護」には共通点も多い

こみちの知り合いには、建築に関わる人が多い。

大工さんだったり、工務店の人だったり、設計士や建築家もいる。

一方で、こみち自身は「介護職」をしている。

一見すると別世界に思えるが、「人間の暮らし」という括りで見ると、かなりの共通点があると気づく。

「建築」にしても「介護」にしても、「衣食住」という人の営みに関わる中枢を成し、それを蔑ろにした生活は、人格や尊厳までも奪うことがある。

築50年を超えた安いアパートで、しかも部屋にはトイレもお風呂もなく、あるのは半畳ほどの小さなシンクに、使い古された一口コンロが置かれている。

そんな話を聞いて、「懐かしい」と感じる世代もいれば、「映画の世界」を思う若者もいるかもしれない。

3畳や4畳半の畳部屋から見える景色は、それこそ「小さな世界から見える景色」で、物語のキーワードにもなりそうだ。

例えば、渋谷の繁華街でも良いし、温泉街の裏路地でもいい。

三流大学のキャンパス脇にある学生向けのアパートということもあるだろう。

また、同じ間取りのアパートでも、学生が住人ということもあれば、訳ありの中年男という設定もあって、何故か美人のマダムが住んでいても面白いはずだ。

何が言いたいのかというと、「住まい」にはそこに住む人の人生観が見え隠れし、財産や社会的地位、年齢や性別だけでは計れない「ホンネ」がある。

言い換えれば、都心の一等地に大きな屋敷があって、そこに何不自由ない人が住んでいて、とても幸せだったとしても、本人は満たされるかもしれないが、物語としてのインパクトは薄れてしまう。

同じようなことが「介護」でも言えて、満たされていることが「幸せ」とは限らない。

利用者の生活が物質的に満たされていても、どこか「寂しさ」や「物足りなさ」を感じるのは、人間という生き物の特徴だろう。

介護士は彼らの支援をするのだが、その支援は簡単に計れるものだけではないから難しい。

キャンピングカーという動く「住まい」に思うこと

国内で使用されるキャンピングカーは、一般的に7メートルを超えるものが少ない。

多くは5メートル以下を満たしていて、それは駐車スペースという現実的な部分を考慮した結果だろう。

いずれにしても、キャンピングカーが「3階建て住宅」同様の快適さを備えているとは考え難い。

もしもそれができるのなら、アパートやワンルームマンションが、もっと快適でも良いからだ。

例えばワンルームマンションを設計する場合、コストや効率化を重視したらトイレとバスルームは一体型になるだろう。

湯船があっても、そこは洗い場も兼ねていて、どちらかというとシャワーで終わらせることが多い人にあっている。

夫婦やカップルだとしても、いわゆる一体型の場合には、誰かが入浴中はトイレにも入り難い。

つまり、使えなくはないが、快適に使えるとは言い難いということだ。

同様のことがキャンピングカーにも起こる。

一般的な乗用車で車中泊する時に快適な就寝スペースが確保できない。

そこで、常設ベッドを設置し、いつでも思い立ったら寝られる環境は、キャンピングカーこその醍醐味だろう。

同様に、最近のトレンドとして「エアコン」などの設置も多く、一年を問わず快適な空調管理が期待できることも外せないポイントだ。

一方で、車内での調理やトイレ、さらにシャワーや浴槽となると、キャンピングカーでもオーナーによって求める基準が変わって来る。

いずれにしても、キャンピングカーは住まいにはなれない。

それが風呂もトイレもない安アパートなら、完全ではないけれど、かなり似ている環境に近づく。

実際にキャンピングカーで夫婦旅をして、その暮らしぶりにハマり人がいる一方で、「住まい」との違いに耐えきれず、一泊くらいのショート旅行が好みということもある。

確かに、キャンピングカーは昔の長屋を思い出させ、家族だけで暮らすというよりも、周辺環境に馴染みながら一緒に生きている感覚が強い。

だから、どこにでも移動できるキャンピングカーなのに、キャンプ場の方が落ち着けるのも、「お隣さん」の存在が大きいのだろう。

狭小住宅などを見ていると、限られた空間の使い方にも感心させられるが、周辺の環境を上手に取り込んで、敷地の広さ以上の快適さをを演出している。

キャンピングカーのサイドオーニングを出して、焚き火をしながら入れ立てコーヒーをゆったりと味わう。

そうしていると、今日のお隣さんが顔を出し、「おひとついかがです?」と何やら美味そうなものを出してくれる。

「コーヒーでもどうです?」

どうもどうもと言っている間に、すっかりと昔からの知り合いみたいな雰囲気になれるのは、程よく日の暮れた頃に焚き火が燃えているからだろう。

キャンピングカーも車体のスペックという評価もあるけれど、「建築」としての文化や習慣に目を向けても面白い。

大きいから良いのでも、小さくても十分でもない。

大切なのは、「使い方」や「生き方」という部分で、それに合った住まいや生き方ができていれば、意外なほど「幸せ」を感じられる。

絶対に不便なのに、そこに幸福があるのは、「建築」の面白い部分でもあり、「人間」の興味深い一面とも言える。


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