原因と結果というけれど
身近なことであれば、「〇〇が〇〇の原因」と言えるだろう。
しかし、少し話が複雑になると、「〇〇が〇〇の原因だけとは限らない」になってしまう。
昨年から続く「コロナ禍」ですが、初めてのピークを迎えた後の6月頃にはかなり陽性者の人数が減りました。
今にして思えば、そこで頑張れなかったのかとなります。
しかし、当時の心境としては「このまま終息するのではないか?」という気持ちもあったでしょう。
それが誰にどれくらいあったのかは、もう分からない話ですし、もしかしたら専門家の中には「警鐘を鳴らし続けていた」のかもしれません。
その警鐘が小さくて聞こえなかったのか、耳を傾けなかったのかも今は分かりません。
とは言え、結果として、第2次のピーク、第3次のピークを繰り返しても終息することはできませんでした。
むしろ、感染者数という視点では増加していて、第1次の感染者数がすっぽり隠れてしまうほど、第3次の増加は巨大です。
問われる我々の仕事
リモートワークという言葉が普及して、自宅で働く人が増えました。
こみち自身もかつては「ノマドワーカー」で、自宅など働く場所を決めない働き方をしていました。
公園のベンチだったり、喫茶店だったり、家族で旅行した時のホテルでも仕事道具を持って行ったものです。
その時に感じたのは、プログラミングや執筆、イラストなど、ノマドワーカーが成立する仕事は限られると思っていました。
しかし、リモートワークが始まれば、事務仕事も営業もできると知り、時代が変わったと感じます。
働く場所を問わない理由が、結果にあって、納品された「データ」に一定の価値があるからです。
ノマド時代なら、そのまま売り物になるほど完成形でした。
一方で、リモートワークになると、社内会議などもっと前段階の仕事も含まれます。
ある意味、今後、10年後もリモートワークが成立するのかは個人的には疑問で、それで経済が回って行くのかと感じます。
専門性やそれを活かす市場が確立されれば別ですが、一般職と呼ばれる仕事は自己完結型というよりも、連携や連帯が欠かせないからです。
言い換えれば、今後は一般職をAIが行い、総合職を我々人間が担うことになるのかもしれません。
だとすれば、ますます「個人事業主」が増えていかないと、経済が成立しないことになるのではないかとも思ってしまいます。
医師会と国会議員の攻防に思う!?
医師会からの国会議員の自粛示唆に、「国会議員とは何か?」を考えるきっかけが生まれました。
国会議員からの話では、「会食」もまた仕事の一部という意識があるそうで、分かる部分もあれば、現状を踏まえるとどんな利点があったのかと問われる部分もありそうです。
職業代議士という存在の意義を問うつもりはありませんが、「会食を認める」か否かではなく、彼らの仕事は「何なのか?」がポイントです。
我々にすれば、会食ではなく、コロナ禍の終息にどんな働きをしてくれたのかが知りたい部分で、これほどまでに深刻になった「理由」を探ることはできなかったのでしょうか。
専門家の意見や海外の動向が必要で、それに会食が付いてくるなら、一斉の禁止もどうかと思いますし、会食しなくても結果に影響がないとしたら、職業代議士の仕事とは何だったのかという疑念に繋がります。
言い換えれば、彼らだけでなく、我々の仕事って何なのでしょうか。
本当に必要な仕事というのはどれとどれで、無くてもいいのはどれなのかということです。
スーパーマーケットがあれば、飲食店は要らないのでしょうか。
趣味を謳歌できない人生が無意味だとしたら、密になる行為もやむを得ないのでしょうか。
原因と結果という簡単な図式では言い切ないだけに、「コロナ禍」が続いてしまう「深刻な原因」があるのかもしれません。
自粛とは何か?
夢を叶えたいと思う時、思えば大学受験を志した時も、「自身を律する」ことを求められました。
今のままで叶わないとしたら、根本的な見直しがないとその夢は叶わないからです。
「自分なりに努力している」という人で成功者はほとんどいないように、自分を主体に考えて成功は難しいのが常です。
言い換えれば、「そこまでしたくない」と思った時点で、人は限界を迎えます。
さて、改めて「自粛」って何でしょうか。
例えば理想的な対策があったとしても、それができる人って本当に限られた一部でしょう。
自分に甘いこみちは、「これくらいなら」と勝手な解釈をして都合よく考えてしまいそうです。
コロナ対策で言えば、緊急事態宣言がないと、それぞれで自分の行動を制限することはできなかったのかという話になります。
確かに仕事はしないといけませんし、何らかの理由で外出も欠かせません。
年末年始の里帰りはどうだったでしょうか、それ以前で言えば、「GO TOトラベル」って何だったのでしょうか。
この辺りになると、もう原因と結果のような簡単な話ではないので、どこまでを許容範囲と考えるべきかは判断も難しいでしょう。
確かに医療機関の立場では、発生による深刻さから、かなり慎重になっていましたし、年末年始に旅行や里帰りという発想もありませんでした。
でもそれは、立場や認識によっても異なる部分で、「自粛」という内容についても同じでしょう。
我々は大人なので、自己決定権があります。
一方で、コロナ禍が拡大すれば、このままで良いのかとなります。
自己判断だけでは難しい場合には、もっと組織的な指針が必要です。
「厳しい状況」や「困難を乗り越えるぞ!」というメッセージではなく、組織としての指針はもっと異なるもので、社会機能の制限やそれに伴う保障など、組織にしかできないことを示してこそと言えます。
個人的には旅行もしたいけれど、とても行けそうにはありません。
キャンピングカーで全国を旅する方々が、代わりに希望を叶えてくれていると思いながら、彼らの動画や画像、文章を眺めているしかできません。
早く、自由に行動できる日々が戻って来て来れたらと切に願っています。