「昭和」という時代にあったものを探して

 すっかり時代は変わってしまった!?

すいません。まだ年末のRIZIN26をベースに話たいなと思っています。

いろいろと興味深い試合はありましたが、やはりメインイベントとなった「堀口VS朝倉」は注目の一戦でした。

ここでは、どちらが強かったとか、どんな技が凄いというような、格闘技の話がメインではありません。

社会の中でどう結果を出して行くのか。そして、出せる人とはどんな人なのかを深掘りしたいのです。

堀口選手は、海外の格闘技団体でも活躍した有名な選手です。

一方の朝倉選手には兄も同じ格闘技をしていて、二人とも知名度の高い選手と言えます。

社会とか、人生といういう意味では、誰かに比べて勝った負けたはとても分かりづらい話です。

しかしながら、中高年になって仕事探しが困難になってくると、人は誰だって「自分の限界」にたいなものを感じ始めます。

少し語弊のある言い方をすれば、「給料をくれる人」には頭が上がらない人になってしまうということです。

雇う人も雇われる人も、雇用という意味では上下があっても、人間としての価値に上下ができる訳ではありません。

しかし、現実としては、とても微妙な関係で、人間としての尊厳までもが変えられてしまうことが起こります。

そんな意味では、堀口選手も朝倉選手も「成功者」という言い方ができるでしょう。

実際、彼らは格闘技の世界で有名人ですし、多くのファンがいて、彼らのことを支えてくれています。

どこで見たのか忘れましたが、ある会社の入社試験で「今から知り合い100人を集めて来なさい」という問題が出たそうです。

難しい知識や技術をマスターしていることではなく、「人脈の広さ」を問うという課題に、誰もが驚いたことでしょう。

仕事や個人的な用事など、誰もがいろいろと忙しいわけで、いきなり呼び出されても簡単に言われた場所に行くことなどできません。

でも、その人のためならと、段取りをつけて集まってくれる人が100人もいたら、それはもう一流大学を出たことや難易度の高い試験をパスしたことと同等の価値があるでしょう。

もしも、「自宅のテレビを持って」という条件が付けば、さらに難易度が上がります。

格闘技を観戦するのが好きで、気になる選手の試合だけでなく、練習やプライベートの動画もよく見せています。

すると面白しろいもので、別の気になる選手と同じトレーニングジムだったり、指導者やトレーナーが絡んでいたりして、バックボーンの部分で深い繋がりがあったりします。

それは、格闘技の試合で「勝つ」という目的を達成するには、もちろん自分だけで頑張るのも方法ですが、もっと効率的に強くなる方法を手に入れるべきなのだと思うのです。

例えば、最高学府の東大にストレートで合格する人と、翌年に一年遅れで合格した人では、少なからず受ける印象が異なります。

現役合格した人には、「秀才」という呼び名があるとすれば、一年浪人した人は「努力家」と呼ばれるでしょう。

もちろん、東大に入れないこみちからすれば、二人とも凄く頭が良い人には変わりありません。

でも、社会は、どこかで二人を区別し、その存在に違いを見つけようとします。

例えば、現役合格した人が、卒業してサラリーマンになったとしましょう。

一浪の人は、医師免許を取得して「医師」になったとします。

その時、二人のことを東大卒のサラリーマンと「医師」として比べます。

つまり、一年の浪人期間はどこに行ったのか、もちろん消えて無くなったわけではありませんが、大学時代から社会人になる中で、評価の基準が段々と変わって行くのです。

ということは、「東大卒」という価値にも賞味期限があって、社会人として別の肩書きを手に入れてしまうと、次第に新しい肩書きの方が印象深くなるでしょう。

中高年のこみちが、今から5年間猛勉強して、学部も関係なく、東大のどこかに合格したとしても、そのことを評してくれるのは決して多くはない分野です。

それよりも、「税理士」や「大型自動車免許」など、実践で使える資格を取った方が、現状を明るくできることでしょう。

それも可能性の話で、すそれが全てではありません。

堀口選手と朝倉選手の試合を見て、堀口選手は昭和っぽいなぁと思いましたし、朝倉選手は平成や令和を感じました。

昭和っぽさというのは、「泥臭さ」みたいな粘り強さを指します。

粘り強さは、原理原則から導いた自信とも言えます。

一方で、平成や令和には効率的で合理的な雰囲気を感じます。

永遠に続けば100%になることも、どこから始めるかで割合の上昇の仕方が変わります。

そこに注目して、自身の素質や癖が活かされる分野で、効率よく頭角を現したのが「朝倉選手」の印象です。

実際、朝倉選手の運動神経は素晴らしいですし、格闘技以外の分野でも一流のスポーツ選手になっていたでしょう。

ただ、欠点が無いということではなく、相手によっては弱点を突かれれば負けてしまうこともあります。

堀口選手は原理原則を身につけた人です。

基礎から学んだ分、頭角を現すには時間が掛かります。

ゆっくりと温める期間が必要です。

そうするだけの余裕や猶予があるのかも、与えられた環境と言えるでしょう。

こみちが高校生だった頃、全員が大学には進学しませんでした。

なぜなら、大学での四年間よりも、社会で過ごす四年間の方がその人にとっての価値があったからです。

逆に、大学を出ても社会から評価されないというのは当然で、だからこそ「大卒」という言葉に価値があり、別の意味では「実を取る」人も多かったのです。

もちろん、堀口選手自身には、恵まれた才能があります。

しかしそれだけではなく、じっくりと育て上げる環境にも恵まれて、今のような選手へと成長できたのでしょう。

思うに朝倉選手も、「環境」の大切さに取り組むようになるでしょう。

もちろん、今の環境も素晴らしいとは思いますが、もっと効率的に学びたいなら、環境の変化にテコ入れが必要です。

もちろん、今のメンバーで「勝利を掴む」という生き方も大切です。

選ぶのは、本人なのでなんとも言えませんが、限られた時間の中でより多くのものを手に入れるための方法を貪欲に追い求めても面白いでしょう。

大学進学の話に似ていて、10年後に到達してもあまり意味がありません。

手に入れるなら1年とか2年とか、短期間での話です。

だからこそ、どんな方法を選ぶかがポイントではないかと強く感じます。

実は成功者となった朝倉選手や堀口選手のことを言っているのではありません。

こみち自身のことを考えて、何をどうすれば良いのか思案しているのです。

堀口選手にも朝倉選手にもなれないので、だからこそどう生きるべきかをもっと考えないと先に進めません。

時代の変化で、生き方も変わりました。

でも、原理原則を身につけた人は底力があり、今を上手く渡る人は結果も出します。

粘り強さも器用さもないと思うだけに、その狭間でもがいているなぁと思う日々が中高年になった今でも続いています。

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