「ユーモア」は「若さ」を超えられるのか?

 中高年から見た「若さ」の魅力

20代の頃、野宿をしながらバイクで国内旅したことがあります。

「国内だからどうにかなるだろう!」

ある意味、とても無謀な考え方で、勢いとノリだけで旅をしていました。

どこだったか忘れてしまいましたが、どこかの海岸にたどり着き、たまたまそこに居合わせた大学のグループに合流して、彼らと設営したキャンプで一泊させてもらいました。

テントの中では、夜遅くまで話をして、彼らはどこかの教育学部の学生で、将来は教師を目指していると教えてくれたのです。

しかも、その海岸がある場所からそう遠くはない所にある大学で、その時にいた大学生の大半が地元の人でした。

こみちは地方出身で、東京に憧れて高校を出てすぐに上京したのですが、確かに高校時代の友人の多くは地元の大学や就職を選んだように記憶しています。

つまり、彼らとの出会いは、巡り巡って故郷の友だちを思い出させました。

広い世界を求めたこみちに対して、彼らはとても堅実で実直な生き方を求めています。

「へぇ〜、本当にすごいなぁ」

ある意味で、お互いに目指している生き方がまるで違っていて、それが大学生らしい出会いだったとも言えました。

未完成だからこそ、そこに魅力と伸びしろがあって、新しい出会いに化学反応が起こります。

あの頃の出会いは、今のようにSNSで繋がることはなく、「元気で!」と笑顔で別れたら、もう一生会うことがないでしょう。

でも、それが楽しいのです。

その時の学生だけでなく、旅の途中ではいろんな人と出会い、そこでいろんな化学反応があって、「ありがとう」と言って一期一会の旅を楽しみました。

中高年になった今は…

未完成が魅力の若者とは違い、中高年の未完成は人間として疑問視されてしまいます。

就活の面接で「なぜ、志望しましたか?」と聞かれて、「楽しそうだったから」などと答えたら、好意的には受け取られないでしょう。

むしろ、「どの辺がですか?」とか、「以前の仕事には感じませんでしたか?」と、鋭い質問が返ってくるかもしれません。

つまり、年齢を重ねと、「結果」に対してある程度の予測が求められ、手放しで受け身になることができません。

何かを聞かれた時も「知らない」を繰り返すと、人は段々と相手にしてくれなくなるでしょう。

というのも、歳を重ねてからの出会いには、「自分の経験値」と同じかそれ以上の相手を求めているからです。

もしも相手がまだ若くて、それ自体に「魅力」を持っているなら別かもしれませんが、歳を重ねてからの「無知」はとても嫌がられるものです。

「キャンピングカーに興味があります!」

例えば、20代の若者が言ったのなら、「面白いよ。ぜひ、将来買ってみたら?」と話が弾むでしょう。

それが50代の中高年になると、相手も「乗り出しで〇〇万円ですよ。ローンも使えますよ」とかなり具体的な話になるでしょう。

そこには、「中高年の関心」には価値がなく、相手も興味を持ちません。

キャンピングカーの良さ云々は自分でどうぞという感じで、「買うか買わないか」がスタートラインというわけです。

そんな時に「住宅ローンもあって、とてもとても」などと言えば、相手は笑顔かもしれませんが、「そうですねよ!」と言ったきり沈黙になってしまうか、気に効く営業マンならパンフレットを持たせてくれるでしょう。

「いつでもどうぞ!」と笑顔で見送ってくれるかもしれません。

ユーモアとは何でしょうか?

ユーモアを笑いと考えがちですが、多分、笑い中でも上品な部類に入ると思います。

つまり、誰かを傷つけたりしないで、かと言って自分を蔑むこともない。

周りの人がクスッと笑える品格が伴っている。

それが「ユーモア」ではないかと思います。

よく笑いは「緊張と緩和」という言い方で紹介しますが、ユーモアには少し異なった特徴があります。

真面目な人は、他人を傷つけません。

しかしそれだけでは、相手に「緊張」を与えます。

無意識に何か失礼がないようにと思わせてしまうのでしょう。

そうかと言って、着地点の見えない「暴挙のような笑い」にも、どう反応して良いのか戸惑います。

これが若者なら、「馬鹿やっているわ!」で、済まされることも、中高年の場合は一周回って「凄いですね!」と全く異なる反応で気遣われてしまうでしょう。

稀に、大人の対応に気づかないで、「誉められた!」と喜んでしまうこともありますが、それは天性からの楽天家の成せることで、普通なら「ちょっと恥ずかしいなぁ」と我ながら反省してしまいます。

だからこそ、ユーモアを上手に使えると中高年になってから便利です。

そのためには、ベースとなる知識や事実、それに類似した幅広い社会経験が必要になります。

背景を知っているからこその「笑い」なら、きっとユーモアと取ってもらえるでしょう。

これが裏付けもない笑いだと、ユーモアにはなりません。

知っている人と思われているからこそ、「またまた冗談ばかり言って!!」と受け手も微笑むのです。

「良い人なんだけどなぁ」

「憎めない所があるよね!」

「友だちには最高だけど、恋人にはちょっと…」

それぞれの言葉に隠された意味を考えると、「ユーモア」が関係していると感じます。

なぜ、その人に人が集まるのか?

その答えには、少なからず「ユーモア」で説明できることがあるように思うのですが。

こんな記事はいかが?