「勝つ」を知るために
どうやら、人生とは毎日が勝負ではないらしい。
しかし、たまに巡ってくる「勝負」に勝てるか否かがポイントであることは周知の話だ。
ある人は、勝つためには「努力」が必要だという。
それだけ「勝つ」ということの価値を知っていて、でも意外なほど「勝つ」ためのプロセスを研究しない。
この記事では、「勝つ」ということを少し掘り下げてみたいと思う。
詰将棋を知っているだろうか?
将棋を知らない人がいるかもしれないので簡単に説明すると、「将棋」は向かい合った二人が、自分の「王」を守りながら相手の「王」を追い詰めるゲームだ。
「追い詰める」という要素を使い、「詰将棋」がある。
つまり、詰将棋では常に「王手」が求められる。
すなわち、相手は自分の意思ではなく「追い詰められない」ために逃げるしかない状況なのだ。
そんな詰将棋を引き合いに出したのは、「勝つ」とは詰将棋ではないかと思ったからだ。
例えば、「勝つ」ために相手も工夫をする。
しかしそれが「機能しない」とか、「無駄である」を知れば、もう工夫そのものが通用しないと気づくだろう。
そうなってしまうと、「勝つ」が詰将棋のようにロジック化されなくなり、偶然やラッキーな巡り合わせを願うしか勝ち目は無い。
「スピード」と「パワー」の関係
「スピード」とは、物体の速さを示す言葉だ。
そして、仕事でも「あの人は仕事や速い」など、「スピード」の有無に着目することがある。
実際、同じ距離で競走すれば、「スピード」がある方が「勝つ」ことになるだろう。
つまり、「スピード」に長けた人は、いかに「同じ距離」で競い合えるかがポイントということになる。
では「パワー」とはなんだろうか。
「パワー」は力であり、よりパワーに溢れた方が、向かい合う相手を押し込めることができる。
つまり、いかに真っ向勝負で「押し合える」関係にできるかがポイントというわけだ。
ではスピードに長けた人が、パワーで勝る相手にどう戦えば良いのだろう。
少なくとも、真っ向勝負で押し合いしてはいけない。
そして、自身のスピードを活かすためにも、距離で勝負できる関係を保つことだ。
その状態を保つには、「距離」をどう保つかがポイントで、格闘技ではステップワークを使うことで、素早く移動しながら相手を「スピード競走」に巻き込むのだ。
一方の「パワー」に長けた人が、スピードに優れた相手とどう戦うべきだろう。
つまりは先ほどの逆を作れば良いのだが、もっと言えば、「パワー」でも「スピード」でもない段階を支配してもいい。
長所と短所というが
よく「自分の長所と短所を答えてください!」という質問がある。
しかしその時の長所も短所も、これまでの生活で感じた感覚に過ぎない。
つまり、生活そのものが変化すれば、これまで感じていた「長所」も「短所」も変わって当然だ。
コンプレックスを克服したいなら、それが短所にならない状況に身をおけばいい。
例えば、整形手術というものが、コンプレックスを克服する解決策だとすれば、それだって「短所」を「長所」に変える方法だろう。
また、100人からは好まれなくても、ある1人からは熱烈に認められさえすれば良いということもある。
つまり、長所も短所も自身の感覚で決まることも多く、コンプレックスに感じることも短所として捉えないで済む状況に変化させたい。
結局のところ「勝つ」ためには?
「負けた」理由を考えるべきではない。
なぜなら、その多くは負ける状況で生み出されたものだからだ。
つまり、短所というコンプレックスの克服に力を注いでも、「勝つ」には直接的な結びつきがない。
それよりも、その時に「勝った」相手のことを研究してみよう。
その相手が、何を強みとして、逆に自分の何を封印させて勝負していたのかを調べてみるのだ。
それはつまり、自分の長所にある弱点を知ることでもある。
この記事の中で、「スピード」も「パワー」も、同じ距離や真っ向勝負にすることがポイントだと説明した。
でも実は、相手の長所も条件を外せば、封じることができてしまう。
言い換えれば、長所だけを延々と磨いても、「勝つ」ことはできない。
なぜなら、相手は「状況」を変えて封印しようとしてくるからだ。
すなわち、相手が自分の長所と向き合う状況に持ち込めるかがポイントで、そこまでの誘導を意識して練習すると結果につながりやすい。
つまり、闇雲に長所を磨き、短所を克服する練習をするよりも、得意技ができたらそれに導く流れを覚えて、先ずはワンパターンで「勝つ」を形にしよう。
そのうえで、誘導中にポイントとなる部分が厳しい時に別の手段を見つけることだ。
そうやってバリエーションが増えてくれば、元々が「スピード系」でも「パワー系」でも、「勝つ」を引き寄せることができる。
努力しても「結果」に結びつかない理由は、「勝つ」ことを最初にイメージしないからだろう。