「秘密基地」の魅力
子どもの頃、廃材を持ち寄って「秘密基地」と作ったことがあります。
屋根はもちろん、扉まで作って、子どもなら3人くらい優に入れる広さです。
今はまだあるのか知りませんが、近所には10円で買える駄菓子屋さんがあって、子どもたちで賑わっていました。
中学生はお兄ちゃんやお姉ちゃんで、高校生は大人に見えました。
時々、そんな大人たちが奥のテーブルに座り、100円のもんじゃを食べているのを見かけます。
でも子どもだったので、「大人になったら…」といくつか駄菓子を買って、秘密基地へと戻ります。
中に入ったからと言ってすることなどありません。
でも、友だちと身体を寄せ合って、狭い空間でいることが大切でした。
キャンピングカーを所有する人の中には…
キャブコンよりも軽キャンやバンコンを好んで、「秘密基地」にしている方を見かけます。
冬の時期なら、コタツを設置して、そこにいれば何もかも手を伸ばすだけで届きます。
思えば、今の妻とまだ恋人同士だった頃、会うのはどこかの店ということが大半でした。
当然ですが、周囲には他の客もいて、その気配や話し声もBGMで、見えない二人の空間を作っていたわけです。
「今度、どこか温泉旅行でも行こうか?」
「行こう、行こう!」
そんな話題で盛り上がれたのは、きっと「二人きりになる」ことが特別だったからでしょう。
まだ学生で、とても見せられるようなアパートには住んでいなくて、だから外で会って同じ時間を過ごす。
もしかしたら、今なら共同トイレの風呂なしアパートも、面白がってくれたかも知れません。
マイホームが秘密基地!?
時が過ぎて、「もう帰ろうよ」とどちらかが言えば、いつも二人きりになれる「場所」があります。
二人で「ただいま!」っと言ってみても返事はありませんが、そこは食事も風呂も寝ることもできるマイホームです。
子どもの頃に体験した秘密基地とは随分雰囲気が違いますが、リビングに座ってコーヒーを飲みながら、「コロナが落ち着いたら旅行しようか?」なんて話題を誰に聞かれることもなくできてしまいます。
「お腹が空いたから、炒飯でもチンするかなぁ?」
徐に立ち上がり、冷蔵庫から冷凍食品を取り出して、しばらくキッチンで待ちます。
秘密基地、ボロアパート、そしてマイホーム。
そんな風に自分の成長とともに変わって来た環境で、キャンピングカーを持つ目的を考えます。
「ワクワクできそうな秘密基地が欲しい?」
「座ってなんでもできる空間が欲しい?」
「気兼ねなくのんびりしたい?」
確かにどれも懐かしく感じます。
これが、例えばマンション暮らしで、日頃から物音や足音に気をつけて生活していたなら、キャンピングカーの存在は大きかったでしょう。
ただ、幸せなことに普段はそれほど生活音を気にしなくても良い環境で、不便を感じることはほとんどありません。
もしも、キャンピングカーを「ストイックさ」として考えるなら、バイクやオープンカーの方が断然面白いと感じます。
近所にトライアンフのボンネビルに乗る方や、Ducatiの900ss乗りの方がいて、休日に愛車をメンテナンスしている姿を見かけます。
少し離れた所にいるロータスセブンのオーナーは、しっかりとガレージまで作って、壁には工具などがオシャレにぶら下げられています。
年代的には同年から少し上かなぁという雰囲気ですが、それを見ると正直、羨ましくもあり、そこまで自分に熱量があるとも思えません。
大型バイクに戻りたい反面、駐車場にバイクカバーで保管するのもと思うと、段々と気持ちも冷めて来て、「また今度でいいか?」の繰り返しです。
最近、昔乗っていたセローを見掛けて、どの良さを再認識しました。
決して速いバイクではありませんが、中高年の体力にも優しいですし、扱いやすいポテンシャルも程よいからです。
それでも、1週間に一回は乗らないですし、1ヶ月に一回もどうか。
なんだか言い訳ばかりして、完全におじさん化、おじいちゃん化していると感じます。
アレコレと思っている時が一番楽しいのでしょうか。
でも、コロナが終息したら、旅行に来たいなぁと思います。
まぁ、外食でも良いのですが。
順応できることは良いことですが、欲が無いのも考えものです。
「コレが欲しい!」と寝ても覚めても思えるモノが見つかっていないのかも知れません。